Dense2's Blog Weekly

~『週刊電説』【Just Another KissBlog】

『週刊電説』【Just Another KissBlog】第二創刊!!

☆本日から、新コーナー:《一週間でマスターするワードプレス》をお届けします!!

最近、ブログがスゴイですね…草創期からあるlivedoorやgooに加え、Yahoo!もβ版のまま公開し、【何故か!?主要なIT企業の中でGoogleだけはブログ・アプリを発表していませんが…】これに輪をかけるように、FC2ブログやAmeba Blogなどが伸びてきました。【そうそう、MS:MicroSoftもWindows Live!の中でブログもどきのサービスを開始しています】さらに、新聞社系では、FujiSankeiグループがSankei EXpressというタブロイド紙を発行し、これに合わせるようにBlog版【英字紙のような横組みのマガジンタイプ】のイザ!【iza!】も創刊しました。

ただ、これらは全て”ASP型”【オンライン型】と言いまして、ISP業者がブログサーバーの運営管理を兼ねるタイプです。一種の”レンタルブログ”なわけです。但し、メールサービスなどとセットとなっていることも多く、使っている人たちは「これは○○のブログだ…」と強く意識して使うことはまぁありません。

私がこれからご紹介しようと思うのは、米国産の老舗にして№1ブログである、WP:WordPress(ワードプレス)です。
と言っても、私は何もワードプレスの回し者でも何でもありません。
およそ4年ほど前、仕事上の必要からこの”ブログ”【Blog】というスタイルに触れる機会があり、当時、WEBサイトを制作した後の更新・管理の効率的な方法を模索していた私にとって、それはまさに「渡りに舟」の出来事でした。

ご承知の通り、ブログ【Blog】とは、「WEB【ネット】上に公開した日記」と理解されておりますが、正式には、”WebLog”【Web(ネット)上の記録】のことです。ここから転じて、”BLog”【BookLogつまり「読書日記」】や”LifeLog”【人生の記録;自分史】などが生まれました。最近では、ネット上のWEBサービスとして、”Twitter”【独白ログ;つぶやきサイト】なんてものも出てきました。(笑)この辺になると、最早訳が分らなくなってくるかもしれませんが、今、サイバー空間には衛星(ロケット)ならぬ、私的な”言説空間”【ディスクール・コミューン】がふわりフワリと浮かび漂っている状態であるとは言えるでしょう。

さて、本題に戻りましょう。
私がWordPress(ワードプレス)を強くお勧めする理由は三つほどあります。
1.構造【テンプレート】とデザイン【スタイル/レイアウト/テーマ/スキン】が分離された設計であること
2.投稿【エントリー】をDB【データベース】で管理する方法なので、整理・検索性に優れていること
3.生成ソフトがオープンソース(フリーソフト)であり、かつ、頻繁にアップデートされていること
…などがその主なものです。

※だまされたと思って、明日から一週間だけ、ココの投稿(エントリー)の通りに試してみて下さい。
少なくとも、ブログに対する一種の”敷居の高さ”みたいなものは払拭されるだろうと思いますから…

WP.comのスモールロゴ

◇因みに、私が使っているのと同じテーマ(スタイル)のブログ例 -

WP-Andreas04テーマのスクリーンショット

カリキュラム

《一週間でマスターするワードプレス》
第一日目:”クラウドブログ”のススメ【今、なぜWP:WordPress(ワードプレス)なのか!?】
第二日目:WP-Blog【オンラインブログ】を始めてみよう!!
第三日目:最初の設定…管理画面【DashBoard】での設定
第四日目:二番目の設定…デザイン【スタイル/レイアウト/テーマ/スキン】の決定
第五日目:三番目の設定…投稿(エントリー)の準備【カテゴリー;パーマリンク;ブログリンクなど】
第六日目:四番目の設定…メディアの準備【画像;音声;動画など】
第七日目:最後の設定…統計の準備【WP-Stats(アクセス解析)やちょっとした”裏技“など】

<PS>五月最後の一週間に、追加的な「コラム」を掲載するかもしれません。JP-WP.comボタン

♪fitted BGM〔Philippe Saisse〕:Land of the Flying Funk performed by Philippe Saisse from “Next Voyage”, 1997
【↑ ※リンクをクリックすると、WMP:WindowsMediaPlayerが立ち上がり曲が聴けます※↑】
※『週刊電説』【Just Another KissBlog】の第二創刊!!にふさわしい曲を…ということで、今日は大好きなフィリップ・セスのこの曲でリスタート!?【BGMは要らないよ…という人はクリックしないで下さいね】

2009年 5月 17日 Posted by | IT-WEB, WordPress | , , , , | コメントを残す

◎評価が難しいオランダでのアウェー「強化試合」…!?

※今月に入って初めてのエントリー…お盆から先月末までは”選挙戦“一色だったせいもあり、また、予想をはるかに超えた《民主党圧勝による政権交代》でもあったため、頭が切り替わるのに少々時間がかかりました。(笑)

◎先日、オランダのアウェーの地で、「強化試合」という名の親善試合が行なわれましたね…”アウェー”+”強化試合”≠”親善試合”である筈なのに、メディアの論調は分かれていると言うか、困惑の色が見て取れました。まァ、オランダ戦では醜態をまたもやさらし【ドイツW杯でのオーストラリア戦を思い出した人も少なくなかったことでしょう!?】、次のガーナ戦では何とか面目を保ったというところでしょうか!?ハッキリしたことは、前にも書いた通り、オランダなど格上の相手と戦う場合と、ガーナなど同格・格下の相手と戦う場合で、戦い方≒戦術を狡猾に変えていく必要がある…ということを再確認できたことくらいでしょうか!?

『セルジオ越後のちゃんとサッカーしなさい:4強どころか1次L突破難しい/親善試合』
~元々”辛口”のセルジオ越後氏がまたもや怒り心頭のご様子である。【この前は、W杯アジア最終予選でオーストラリアにまたもや負けた時】私も同感だ…オランダに負けたことがイケナイのではなく、その”負けっぷり”が気に入らないのである。どんなにフィジカルに優れた欧蹴人でも、あの日のジャパンのように最初からフルスロットルで走り回ったらいつかは”失速”するだろう!?ということは目に見えていた。事実、オランダは前半は体力を温存させさほど攻め込んでは来ていなかった。試合が動いたのは後半30分以降、つまり、ジャパン最大の弱点である”魔の時間帯“:75-90分までの最後の”15分間“で立て続けに失点した。完全に研究し尽くされていると言わねばなるまい。しかも、オランダはかつてのヒディング監督と同じく、後半早々からメンバーチェンジを頻繁に行なったのに対し、我らの岡チャンはさほど動かなかった。敢て言うならば、岡田監督がオランダに頼み込み、あの”オーストラリア戦“での采配と同じ戦術で戦ってもらい、《フルプレス戦術》では格上の相手と戦う際には通用しないことを確認したかっただけなのだろうか!?

『杉山茂樹のサッカー道場:オランダ戦のどこを見るべきか?~たかが、されどの親善試合~』
~これは、全く同感!!杉山茂樹氏もセルジオ越後氏に劣らず”辛口”な人だが、この人の場合、ジャパンに対する期待を通り越した先にある、ある種の”諦念“をベースにしている感じがして、却って微笑ましくさえもある。たかが「親善試合」されど「親善試合」なのであるし、W杯本番までまだ”9ヶ月”もあるのだしもう”9ヶ月”を切ってもいるのだ。上に書いた通り、オランダ戦が負けるべくして負けた想定内の試合なら問題はないのだろうが、、、。

『日本代表、2010年への旅:岡田ジャパンの課題明確に。テーマは「サボリ」と「リズム」?
~このオランダでのアウェー「強化試合」の格好の”総括“がコレだろう…さすがは《Number-WEB》である。
しかしながら、こんなことは誰にでも感じられることではないだろうか!?それは、続くガーナ戦で見事に証明された。オランダ戦で左足を負傷した”俊輔“が敢て潰れ役の司令塔の位置を引き受け、走り過ぎの嫌いのある”憲剛“を効果的に走らせた途端、前半のあの反撃の得点が生まれた。後半は、積極的にFWの”玉田”を投入したら、いきなりファインシュート【ドイツW杯でブラジル相手に得点した先取点のシーンに近い】で得点、俊輔を下げた際、MFに”本田“と”稲本“の二枚を投入、俊輔の代役を”遠藤“が見事引き受け、その後の”岡崎“の同点ヘッド弾や稲本の逆転ミドルシュートを呼び込んだ。【あの時間帯、ガーナのディフェンス陣がオランダ戦でのジャパンよろしく失速し集中力を欠いていたことも幸いした】
後半の”魔の時間帯“の6分間で3点取って逆転勝利した”反発力“は、確かに評価できる。しかしながら、オランダリーグで評価の高い”本田“が岡田ジャパンにはフィットしていないように見えることやかつて「アジアの壁」と言われたセンターバック:”中澤“に翳りが見えること【体力的にピークアウトし、限界が見え始めたのかもしれない】や絶対的な正GK不在など、心配の種が尽きないことも事実。【岡田監督は終了間際、守備固めのたろだろうか!?”阿部勇樹“を投入したが、途中交代の場面で彼で大丈夫なのか!?とハラハラした…彼は時々集中力を欠く癖があり、マークを外す嫌いがある】選手の特性にまでも目配りした、もっとキメの細かい”采配“が求められる。【岡田監督は、負けず嫌いな上に”頑固“な性格のようだ…敢て同じ轍を踏もうとする嫌いがある面も見受けられる】

『日本代表、2010年への旅:岡田ジャパンがガーナ戦で試した”世界バージョン”の攻撃型戦術。』
~ガーナ戦での”大逆転劇“があまりにも見事だったので、たちまちにしてメディアはこぞって岡田ジャパンをホメそやす。オランダ戦の前後では、さほどフィットしているように見えない本田バッシングの記事を書いていたことも忘れてだ。【どうも、日本のサッカー記者たちは”結果“ばかりを追い求める嫌いがあるような気がしてならない。恐らくは、”野球“担当出身の記者が多いことにもよるのだろうが、野球とサッカーのスポーツとしての違いを踏まえた報道をしない限り、真実は伝わらないだろう。野球は言ってみれば《ストップ&ゴー》のスポーツであり、サッカーは《ゴーイング》のスポーツであり、静止時間の長い野球に比べサッカーでは人もボールも殆ど止まっていることはないからだ。試合のプロセスや戦術のバックグラウンドに注目しないとサッカーを語ることはできない】
ところで、記事自体は何てことはなくて、《4-2-2-2》フォーメーションを岡田ジャパンの救世主となる”世界バージョン“の「攻撃型戦術」だと崇め奉っていたが、オイオイ大丈夫かよ!?と思わずにはいられない。前のジーコジャパンの時も同じようなことを言ってはいなかっただろうか!?同じ《4-2-2-2》フォーメーションとは言え、ジーコジャパン時のそれは、DF以外の選手が二人ずつ狭い間隔で縦隊する”香車的布陣“であり、ジーコの母国:ブラジルの定番スタイルだ。個人技に優るタレントが長槍の一突きよろしく中央突破で強引に攻めていく戦法である。【”魚鱗の陣“に近い】翻って、岡田ジャパンの《4-2-2-2》フォーメーションの場合、DFの上にコンパクトに”ダブル・ボランチ“を配し、さらにその上に2トップの”2シャドウ“的にMFをワイドに展開して配し、最後に2トップを若干タイトまたは縦列気味に配置するといった、戦術上の妙があることには触れられていない。【むしろ、関が原の戦いで東軍を迎え撃った西軍の”鶴翼の陣“に近く、どちらかと言えば防御的戦術である】最も重要な注目点は、DF以外の2人ペアの選手たちが縦にも横にもほぼ等間隔に配置され、選手間の余計なスペースを生じさせないコンパクトな布陣になっていることで、このスタイルを90分間継続して初めて、岡田ジャパンの標榜する《全員で守り全員で攻めるトータル・フットボール》が可能になるという、大変な代物なのである。【フィジカル・トレーニングでどんなに体力を向上させても、これを90分間持続させることは至難の技だ】今回特筆すべきは、後半のあの”魔の時間帯“で、敢てリスク覚悟の上で岡田監督が勇気ある采配で勝負を賭け、それに交代選手たちを中心に見事応えたことに尽きると思う。【今や”オールドボーイ“となった感のある稲本のカムバックは大きな収穫だ…エリアの外からでもミドルシュートで決められる得点能力は、結果論だが貴重な武器になることだけは間違いない】まァ、「結果良ければ全て佳し」の論調になるのも無理はない。

※山本 昌邦:『日本サッカー遺産 - ワールドカップ出場舞台裏の歴史と戦略』〔ベスト新書#235;2009-07-25〕

~もうワールドカップ出場は決まったんだからイイじゃないか!?と言うなかれ!”山本昌邦“氏はNHKのスポーツコーナーのサッカー解説者を務めることでも分る通り、温厚な性格の理論家である。”黄金世代“と呼ばれ”マイアミの奇跡“を起こした中田ヒデ・俊輔・小野・稲本ら《4人衆》を育て上げたことでも有名だが、トルシエジャパン時代、コンディショニング・コーチを担当して大きな”成果“を上げた人物でもある。【ホームの地の利があるとは言え、W杯で初めてリーグ戦を突破したことを忘れてはならない】いろいろ派閥等があるのだろうが、山本氏に岡田ジャパンでもコンディショニング担当を務めて欲しかった…と思っているのは私だけだろうか!?

山本昌邦:『日本サッカー遺産 - ワールドカップ出場舞台裏の歴史と戦略』〔ベスト新書#236;2009-07-25〕画像

2009年 9月 11日 Posted by | Soccer | , , , , , , , , , , | コメントを残す

★「終戦記念日」は、新たな”選挙戦”の始まり…!?

☆今日は、「終戦記念日」65周年に当たりますね…ということは、企業社会で言えば、「定年」【引退】を意識せざるを得ない年代に到達したというワケで、日本国も”次世代戦略“について真剣に考えなければイケナイ《峠の折り返し地点》に立っていることを、そろそろ強く自覚すべきなのかもしれません。そうでなくとも、今年2009年の夏は、”異常気象“+”天変地異“のダブルパンチ【冷夏と酷暑が混在する夏に台風と地震が同時に襲来など…】に見舞われているのですから、月末【8/30】の総選挙では、何とも言い難い歴史的転換点になる”波乱含みの展開“さえ予感させてくれます…

・八幡 和郎:『歴代総理の通信簿 - 間違いだらけの首相選び』〔PHP新書#413;2006-09-01〕

~またまた、辛口の八幡和郎氏の登場です。氏は滋賀県生まれで東大法学部卒業、フランス国立行政学院(ENA)留学後、通産省入省。その後、バリバリの官僚職などを歴任し、松下政経塾政経研究所特別研究員を経て現在、評論家・徳島文理大学大学院教授。主な著書に、『47都道府県の関が原』や『戦国大名 県別国盗り物語』など、地域に根ざした”戦記物・歴史物“には定評があります。この本では、氏独自の歴史観・戦史観・国家観などに基づいた一見厳しめの《歴代宰相通信簿》について、独特の評価を下しています…月末【8/30】の”衆院選“への何らかの参考になればと思いますね。

八幡和郎:『歴代総理の通信簿 - 間違いだらけの首相選び』〔PHP新書#413;2006-09-01〕画像

    = 歴代宰相史 =

  • 宰相前史:大政奉還から内閣発足まで〔約18年間:1867-1885〕
    • 幕藩体制(臨時に旧体制が存続):慶応3(1867)/10/14
    • 総裁・議定・参与制:慶応3(1867)/12/9
    • 輔相制:慶応4(1868)/閏4/21
    • 太政官制:明治2(1869)/7/8
  • 元勲たちの時代:初代伊藤博文内閣から第4次伊藤博文内閣まで〔約16年間:1885-1901〕
    • [1]第1次伊藤博文内閣:明治18(1885)/12/22-明治21(1888)04/30
    • [2]黒田清隆内閣:明治21(1888)/04/30-明治22(1889)/10/25
    • [3]第1次山県有朋内閣:明治22(1889)/12/24-明治24(1891)/05/06
    • [4]第1次松方正義内閣:明治24(1891)/05/06-明治25(1892)/08/08
    • 第2次伊藤博文内閣:明治25(1892)08/08-明治29(1896)08/31
    • 第2次松方正義内閣:明治29(1896)/09/18-明治31(1898)/01/12
    • 第3次伊藤博文内閣:明治31(1898)/01/12-明治31(1898)/06/30
    • [5]第1次大隈重信内閣:明治31(1898)/06/30-明治31(1898)/11/08
    • 第2次山県有朋内閣:明治31(1898)/11/08-明治33(1900)/10/19
    • 第4次伊藤博文内閣:明治33(1900)/10/19-明治34(1901)/05/10
  • 藩閥政治の時代:第1次桂太郎内閣から寺内正毅内閣まで〔約17年間:1901-1918〕
    • [6]第1次桂太郎内閣:明治34(1901)/06/02-明治39(1906)/01/07
    • [7]第1次西園寺公望内閣:明治39(1906)/01/07-明治41(1908)/07/14
    • 第2次桂太郎内閣:明治41(1908)/07/14-明治44(1911)/08/30
    • 第2次西園寺公望内閣:明治44(1911)/08/30-大正元(1912)/12/21
    • 第3次桂太郎内閣:大正元(1912)/12/21-大正2(1913)/02/20
    • [8]第1次山本権兵衛内閣:大正2(1913)/02/20-大正3(1914)/04/16
    • 第2次大隈重信内閣:大正3(1914)/04/16-大正5(1916)/10/09
    • [9]寺内正毅内閣:大正5(1916)/10/09-大正7(1918)/09/29
  • 政党内閣の誕生:原敬内閣から犬養毅内閣まで〔約14年間:1918-1933〕
    • [10]原敬内閣〔政友会〕:大正7(1918)/09/29-大正10(1921)/11/04
    • [11]高橋是清内閣〔政友会〕:大正10(1921)/11/13-大正11(1922)/06/12
    • [12]加藤友三郎内閣〔海軍〕:大正11(1922)/06/12-大正12(1923)/08/24
    • 第2次山本権兵衛内閣〔*関東大震災復興内閣〕:大正12(1923)/09/02-大正13(1924)/01/07
    • [13]清浦奎吾内閣〔*超然内閣(選挙管理内閣)〕:大正13(1924)/01/07-大正13(1924)/06/11
    • [14]加藤高明内閣〔憲政会〕:大正13(1924)/06/11-大正15(1926)/01/28
    • [15]第1次若槻礼次郎内閣〔憲政会〕:大正15(1926)/01/30-昭和2(1927)/04/20
    • [16]田中義一内閣〔政友会〕:昭和2(1927)/04/20-昭和4(1929)/07/02
    • [17]浜口雄幸内閣〔憲政会〕:昭和4(1929)/07/02-昭和6(1931)/04/14
    • 第2次若槻礼次郎内閣〔憲政会〕:昭和6(1931)/04/14-昭和6(1931)/12/13
    • [18]犬養毅内閣〔政友会〕:昭和6(1931)/12/13-昭和7(1932)/05/16
  • 軍人宰相の蹉跌:斎藤実内閣から鈴木貫太郎内閣まで〔約13年間:1932-1945〕
    • [19]斎藤実内閣〔海軍〕:昭和7(1932)/05/26-昭和9(1934)/07/08
    • [20]岡田啓介内閣〔海軍〕:昭和9(1934)/07/08-昭和11(1936)/03/09
    • [21]広田弘毅内閣〔外交官〕:昭和11(1936)/03/09-昭和12(1937)/02/02
    • [22]林銑十郎内閣〔陸軍〕:昭和12(1937)/02/02-昭和12(1937)/06/04
    • [23]第1次近衛文麿内閣〔五摂家筆頭格〕:昭和12(1937)/06/04-昭和14(1939)/01/05
    • [24]平沼騏一郎内閣〔元検事総長〕:昭和14(1939)01/05-昭和14(1939)/08/30
    • [25]阿部信行内閣〔陸軍〕:昭和14(1939)/08/30-昭和15(1940)/01/16
    • [26]米内光政内閣〔海軍〕:昭和15(1940)/01/16-昭和15(1940)/07/22
    • 第2~3次近衛文麿内閣〔五摂家筆頭格〕:昭和15(1940)/07/22-昭和16(1941)/10/18
    • [27]東条英機内閣〔陸軍〕:昭和16(1941)/10/18-昭和19(1944)/07/22
    • [28]小磯国昭内閣〔陸軍〕:昭和19(1944)/07/22-昭和20(1945)/04/07
    • [29]鈴木貫太郎内閣〔海軍〕:昭和20(1945)/04/07-昭和20(1945)/08/17
  • 戦前派の復活:東九邇宮稔彦内閣から岸信介内閣まで〔約15年間:1945-1960〕
    • [30]東九邇宮稔彦内閣〔皇族〕:昭和20(1945)/08/17-昭和20(1945)/10/09
    • [31]幣原喜重郎内閣〔外交官〕:昭和20(1945)/10/09-昭和21(1946)/05/22
    • [32]第1次吉田茂内閣〔外交官(自由党)〕:昭和21(1946)/05/22-昭和22(1947)/05/24
    • [33]片山哲内閣〔弁護士(社会党)〕:昭和22(1947)/05/24-昭和23(1948)/03/10
    • [34]芦田均内閣〔外交官(民主党)〕:昭和23(1948)/03/10-昭和23(1948)/10/15
    • 第2~5次吉田茂内閣〔民自党⇒自由党〕:昭和23(1948)/10/15-昭和29(1954)/12/10
    • [35]鳩山一郎内閣〔民主党⇒自民党(保守合同)〕:昭和29(1954)/12/10-昭和31(1956)/12/23
    • [36]石橋湛山内閣〔自民党〕:昭和31(1956)/12/23-昭和32(1957)/02/25
    • [37]第1~2次岸信介内閣〔自民党(石橋後継)〕:昭和32(1957)/02/25-昭和35(1960)/07/19
  • 戦後派の官僚と党人:池田勇人内閣から中曽根康弘内閣まで〔約27年間:1960-1987〕
    • [38]第1~3次池田勇人内閣〔自民党(吉田学校)〕:昭和35(1960)/07/19-昭和39(1964)/11/09
    • [39]佐藤栄作内閣〔自民党(吉田学校)〕:昭和39(1964)/11/09-昭和47(1972)/07/07
    • [40]第1~2次田中角栄内閣〔自民党(越後交通)〕:昭和47(1972)/07/07-昭和49(1974)/12/09
    • [41]三木武夫内閣〔自民党(党人派)〕:昭和49(1974)12/09-昭和51(1976)/12/24
    • [42]福田赳夫内閣〔自民党(大蔵省主計局)〕:昭和51(1976)/12/24-昭和53(1978)/12/07
    • [43]第1~2次大平正芳内閣〔自民党(池田内閣官房長官⇒宏池会)〕:昭和53(1978)/12/07-昭和55(1980)/06/12
    • [44]鈴木善幸内閣〔自民党(社会党⇒自民党総務会長)〕:昭和55(1980)/07/17-昭和57(1982)/11/27
    • [45]第1~3次中曽根康弘内閣〔自民党(内務省⇒海軍主計士官⇒内務省)〕:昭和57(1982)/11/27-昭和62(1987)/11/06
  • 地方政治家とジュニアの時代:竹下登内閣から麻生太郎内閣まで〔20年超:1987-2009〕
    • [46]竹下登内閣〔自民党(県議⇒竹下派・経世会)〕:昭和62(1987)/11/06-平成元(1989)/06/03
    • [47]宇野宗佑内閣〔自民党(県議⇒外相)〕:平成元(1989)/06/03-平成元(1989)/08/10
    • [48]第1~2次海部俊樹内閣〔自民党(三木派)〕:平成元(1989)/08/10-平成3(1991)/11/05
    • [49]宮沢喜一内閣〔自民党(大蔵官僚⇒宏池会)〕:平成3(1991)/11/05-平成5(1993)/08/09
    • [50]細川護煕内閣〔日本新党(近衛文麿の孫⇒上智大学⇒朝日新聞社⇒熊本県知事)〕:平成5(1993)/08/09-平成6(1994)/04/28
    • [51]羽田孜内閣〔自民党⇒新政党〕:平成6(1994)/04/28-平成6(1994)/06/30
    • [52]村山富市内閣〔社会党(「村山談話」;「住専処理」)〕:平成6(1994)/06/30-平成8(1996)/01/11
    • [53]第1~2次橋本龍太郎内閣〔自民党(経世会;厚生族)〕:平成8(1996)/01/11-平成10(1998)/07/30
    • [54]小渕恵三内閣〔自民党(経世会;「公明党」との連立)〕:平成10(1998)/07/30-平成12(2000)/04/05
    • [55]第1~2次森喜朗内閣〔自民党(森派)〕:平成12(2000)/04/05-平成13(2001)/04/26
    • [56]第1~3次小泉純一郎内閣〔自民党(森派;大蔵族・郵政族・厚生族)〕:平成13(2001)/04/26-平成18(2006)/09
    • [57]安倍晋三内閣〔自民党(森派・小泉後継禅譲内閣)〕:平成18(2006)/09-平成19(2007)/09
    • [58]福田康夫内閣〔自民党(森派・安倍後継禅譲内閣)〕:平成19(2007)/09-平成20(2008)/09
    • [59]麻生太郎内閣〔自民党(福田後継禅譲内閣)〕:平成20(2008)/09-平成21(2009)/07

2009年 8月 15日 Posted by | History, Politics, Tactics | , , , , , , , , , | コメントを残す

★データ・ストレージ技術で蘇る”黄泉の国”…!?

☆今日は全国的に「お盆」ですね…なので、お盆にふさわしい(!?)話題を。

~先週は、梅雨明けにも関わらずの”集中豪雨“と、お盆直前の台風通過に静岡県【駿河湾】内での”大地震“と災難続きでしたが、今年の異常気象も含め、何やら大きな波乱の前兆のような気がしてなりません。いろいろな意味で、ご自愛下さいませ。

・服部 真澄:『エクサバイト〔エクサバイト』〔角川書店;2008-01-31〕

~これは、”おぞましい“近未来小説です。初めに読んだ時は、ITがこのまま発展していけば多分こんな社会になっているんだろうなァ!?とのん気に考えていましたが、再読してみると、何とも形容し難い問題提起を含んでいることに気づき、愕然としました。【去年、いろいろな雑誌などの書評欄でも取り上げられていたのですが、ウッカリ忘れていました】

服部真澄:『エクサバイト』〔角川書店;2008-01-31〕画像

★神話や歴史は、間違いなく”正しい“ものなのか!?

  • 誰の心の中にもある、歴史に名を残したいという願望…
  • ~この小説に出て来るような、《ユニット》人生記録システム/メディア】があったら、誰もが、特に、”フェイマス“な人であればあるほど、歴史に名を留めたいという《自尊欲求》は強くなる…という”マズローの法則“を持ち出すまでもなく、人は、自己の生きた証を記録・保存したいと思うものらしい。そこに、”データ・ストレージ“技術と連動したこのサービスが生まれる余地がある…という

  • もしも、その死後100年の時を経て、死者の”記憶“が限りなくリアルに近い”記録として修復され蘇るとしたら…
  • ~まるで怪奇ミステリーのような話だが、現在のITの延長線上でなら、確かに、上述のことは実現不可能ではない気がしてくる…ただ、そこには、プライバシーの問題(死後)著作権の問題相続権の問題、それに、神話の編纂権歴史の編集権といった、複雑な問題が絡んでくることは否めない。文字通り、「死者に口なし」なのだから、故人の尊厳を保ちつつ、かつ、その係累に悪影響が及ぶことなく、《神話》【正史】を正しく”再構築“する…という作業は、絶望的なほどまでに困難なことでもあるかのように見える

  • アメリカの”愛国者法“と”個人情報保護“【プライバシー保護】との間に横たわる大きな溝
  • ~この小説を読んで真っ先に思い浮かべたのは、アメリカの”愛国者法“と”Google“の関係だった。愛国者法は、あの《911テロ》以後、国家に国民を監視する権利を認め、場合によっては”盗聴“もできるようにした。一方、Googleは、体良く言えば”検索エンジン“ではあるが、その実体は、ネチズンとしての”ネット市民“の活動履歴の監視役トレーサー】であると言えるのかもしれない。日本では、検索エンジンはYagoo!が好まれて使われているようだが、実は、Yahoo!の検索プログラムのコア部分はGoogleのものなのである。ということは、検索エンジンの80%以上のシェアを握っている…と言われるGoogleのデータ・サーバー【DB:データベース】には、私達日本人はもちろんのこと、ほぼ全世界のネット行動履歴がログとして記録・保存されるワケであり、これはあまり気持ちの良い状況ではないと言えなくはないだろうか!?私達は、ネットでの”利便性“と引き換えに、自己のネット活用上の”(データ的)特性“を無意識に提供していることとなり、だからこそ、”Amazon“とかからレコメンドという名のお勧めサービスなどを受けられるのだ…ということを忘れてはならない【利便性とプライバシー保護は”トレードオフ“の関係にあるのだから、もしも、プライバシーが暴かれることを恐れるのならば、現行のシステムでは、ネットは一切使わないという選択肢しか残されていないように見える】

※それでも、人々はネットを使うことを止めないのだろう…否、止められないのかもしれない!?今や、ネットやケータイのない世の中なんてあり得ない。それこそ、一般人がこぞって綴る”ブログ”でさえ、一種の《生前葬(の予約あるいは遺言)》と見なされ、その死後100年の時を経て、係累などの手によって新しい”秘史“【メモリアル墓標】として再構築されるということはアリなのかもしれない…

2009年 8月 13日 Posted by | History, IT-WEB | , , , , , , , , , , , , , , | コメントを残す

『SAPIO 2009-8/19・26合併号』にみる”失われた20年”…!?

今年で、小学館の『SAPIO』は創刊20周年なんだそうだ。今年は平成21年、だから、『SAPIO』は平成のニッポンと共に歩を進めてきたことになる。昭和天皇崩御と共に始まった平成元年から、私はこの『SAPIO』を折に触れて買い求めるようになった。当時、こういった雑誌は稀有な存在で、新鮮に映ったものだった。創刊後ほどなくしてバブルが弾け、日本人の視線がともすれば”内向き“になりがちな時代にあって、敢て、国際色豊かな情報を載せ続けたことは評価されてよいと思われる。やや”過激“な論調に傾く傾向が見られるにせよ、『SAPIO』は時代の忠実なクロニクルであり続けたと言える。この平成年間【特に、昨年の”リーマンショック以後】、様々な雑誌の廃刊・休刊が相次いだけれども、まだ生き残っているという事実は厳然としてある。それだけでもスゴイ快挙だ。

『SAPIO 2009-8/19・26号』〔#14;Vol.472〕大画像

※ヘタな論評を加えるより、歴史を単純に羅列したほうが良いと思われるので、下記に列挙します。

= 日本の”失われた20年“【平成年間】 =

  • 1989年(平成元年)
    • 1月:昭和天皇崩御、明仁親王即位→昭和から”平成“へ…
    • 2月:リクルート事件で江副副会長逮捕
    • 4月:消費税3%施行
    • 6月:宇野新内閣発足、天安門事件、美空ひばり死去
    • 11月:ベルリンの壁崩壊
    • 12月:日経平均株価最高値
  • 1990年(平成2年)
    • 1月:秋篠宮文仁親王と川嶋紀子さん婚約
    • 2月:衆院選で自民党が275議席を獲得し大勝
    • 3月:大蔵省、土地関連融資の総量規制
    • 6月:大型景気が史上2番目の長さに…
    • 8月:日銀が公定歩合を年率6%に引上げ
    • 10月:東西ドイツ統一、O-157で園児志望
    • 11月:天皇陛下、即位の礼
  • 1991年(平成3年)
    • 1月:湾岸戦争
    • 2月:皇太子殿下、立太子の礼。美浜原発、原子炉自動停止
    • 4月:新都庁舎、西新宿で開庁
    • 5月:東京・芝浦にジュリアナ東京オープン
    • 12月:ソ連邦崩壊
  • 1992年(平成4年)
    • 2月:バブル景気、終結
    • 3月:新幹線「のぞみ」号、運転開始
    • 6月:PKO協力法成立
    • 8月:バルセロナ五輪で、15歳の岩崎恭子が金メダル
    • 9月:毛利衛さん、日本人で初めてスペースシャトル「エンデバー」へ搭乗
    • 10月:天皇陛下、初の中国訪問
    • 11月:アメリカ大統領選挙→民主党が勝利
  • 1993年(平成5年)
    • 1月:クリントン大統領、就任【民主党政権】
    • 3月:江沢民、中国国家主席就任
    • 4月:天皇・皇后両陛下、歴代初の沖縄県訪問
    • 5月:サッカー、Jリーグ開幕
    • 6月:皇太子徳仁親王、大和田雅子さん結婚の儀。宮澤内閣の不信任案可決、衆議院解散
    • 7月:衆院選で”保守新党“大躍進、北海道南西沖地震
    • 8月:細川内閣発足、55年体制“崩壊、田中角栄元首相死去
  • 1994年(平成6年)
    • 4月:細川首相、辞意表明。社会党が連立内閣離脱。少数与党の羽田内閣発足
    • 6月:松本サリン事件自民・社会・さきがけの三党が村山富市を首班指名、村山内閣発足
    • 7月:金日成死去。向井千秋さんが日本人女性初の宇宙飛行
    • 9月:関西国際空港開港
    • 10月:北海道東方沖地震
  • 1995年(平成7年)
    • 1月:阪神・淡路大震災
    • 2月:野茂英雄、メジャーリーグ挑戦【ドジャース】
    • 3月:オウム真理教に強制捜査
    • 4月:東京都で青島幸男、大阪府で横山ノックのタレント知事がダブル誕生
    • 5月:麻原彰晃、逮捕
    • 8月:村山改造内閣、村山談話戦後初の銀行経営破綻
  • 1996年(平成8年)
    • 1月:村山首相退陣、橋本内閣発足。若田光一さんがスペースシャトル「エンデバー」へ搭乗
    • 2月:羽生善治が史上初、七冠達成
    • 4月:麻原被告、初公判三菱銀行と東京銀行が合併
    • 7月:大阪府で「O-157」集団食中毒発生
    • 9月:民主党“結成
    • 12月:ペルー日本大使公邸、人質事件
  • 1997年(平成9年)
    • 4月:消費税5%実施
    • 6月:神戸連続児童殺傷事件で、当時14歳の容疑者を逮捕
    • 7月:香港が100年ぶりに返還され、”中国香港“がスタート
    • 8月:ダイアナ妃が、壮絶事故死
    • 11月:北海道拓殖銀行“が経営破綻、”山一證券“が自主廃業
    • 12月:「京都議定書」採択。東京湾アクアライン開通
  • 1998年(平成10年)
    • 2月:長野冬季五輪開幕。自民党の新井将敬議員自殺
    • 4月:外国為替法改正、”金融ビッグバン
    • 6月:仏W杯で岡田ジャパン、全敗で1次リーグ敗退
    • 7月:参院選で自民大敗→橋本首相、辞意表明→小渕内閣発足、和歌山毒物カレー事件
    • 8月:北朝鮮のミサイル「テポドン」が三陸沖に着弾
    • 10月:和歌山毒物カレー事件で林真須美容疑者逮捕日本長期信用銀行が経営破綻
  • 1999年(平成11年)
    • 1月:自民・自由党連立の小渕第1次改造内閣発足。EU統一通貨「ユーロ」流通開始
    • 3月:日産“が”ルノー“と提携
    • 4月:石原東京都知事、誕生山口県光市母子殺害事件
    • 8月:トルコ大地震
    • 9月:東海村JOC、国内初の臨界事故
    • 12月:”2000年問題“が話題に…ミレニアム問題
  • 2000年(平成12年)
    • 2月:大阪府で太田房江知事就任
    • 4月:小渕首相倒れる→小渕内閣総辞職森喜朗、内閣総理大臣に
    • 6月:皇太后陛下、崩御
    • 7月:雪印乳業、集団食中毒事件二千円札発行
    • 9月:シドニー五輪で高橋尚子が金メダル
    • 10月:田中康夫が長野県知事に
  • 2001年(平成13年)
    • 1月:G・W・ブッシュ大統領就任【共和党政権】中央省庁再編
    • 2月:えひめ丸事件
    • 4月:森内閣退陣→小泉政権誕生
    • 6月:池田小、児童殺傷事件
    • 9月:911“、「アメリカ同時多発テロ」発生、日本初の狂牛病感染牛確認
  • 2002年(平成14年)
    • 1月:雪印食品、輸入牛肉偽装事件
    • 4月:ゆとり教育スタート
    • 5月:日韓共催W杯“開幕、トルシエ・ジャパン、”ベスト16“に
    • 7月:”郵政民営化関連法案“成立
    • 8月:”住基ネット“が稼動開始
    • 9月:小泉電撃訪朝“、北朝鮮が拉致認める
  • 2003年(平成15年)
    • 2月:北朝鮮、ミサイルを日本海へ発射
    • 3月:中国で”SARS“大流行米軍、”イラク侵攻“【テロとの戦い
    • 4月:郵政事業庁が日本郵政公社に。六本木ヒルズ、オープン。日経平均株価、1982年以来の安値:7,607円88銭
    • 6月:「有事法制」成立
    • 7月:北島康介、100m・200m平泳ぎで世界新記録樹立
    • 12月:米軍、”フセイン元大統領“、拘束
  • 2004年(平成16年)
    • 1月:山口県で”鳥インフルエンザ“発生
    • 2月:自衛隊本隊第1陣、イラクのサマーワへ派遣
    • 4月:政治家の”年金未納問題“、相次いで発覚
    • 5月:小泉首相、”再訪朝“で拉致被害者の家族5人が帰国
    • 8月:アテネ五輪開幕
    • 10月:新潟県中越大地震“発生
    • 11月:新紙幣発行
  • 2005年(平成17年)
    • 2月:「京都議定書」発効
    • 4月:JR福知山線脱線事故
    • 5月:北朝鮮、日本海へミサイル発射
    • 7月:野口聡一さん搭乗の「ディスカバリー」、打上げ成功
    • 8月:小泉首相、”郵政解散
    • 9月:郵政総選挙“→自民党圧勝
    • 10月:郵政民営化関連法案、(再)可決
  • 2006年(平成18年)
    • 1月:宮崎勉、死刑確定。日本郵政株式会社、発足。堀江貴文、逮捕
    • 2月:トリノ五輪で荒川静香が金メダル
    • 3月:堀江メール問題WBC“で王ジャパンが初代王者
    • 5月:構造計算書」偽造問題【”耐震偽装事件“】
    • 6月:村上世彰、逮捕
    • 9月:小泉内閣、総辞職安倍内閣、発足【第1次禅譲内閣、麻原彰晃、死刑確定
    • 12月:フセイン元大統領、死刑執行
  • 2007年(平成19年)
    • 1月:そのまんま東“【東国原英夫】が宮崎県知事に就任
    • 2月:第1回東京マラソン
    • 3月:東京ミッドタウン、開業
    • 5月:松岡利勝農水相、首吊り自殺
    • 7月:参議院議員通常選挙で民主党が大躍進
    • 9月:安倍内閣、総辞職福田内閣、発足【第2次禅譲内閣
  • 2008年(平成20年)
    • 1月:橋下徹“が大阪府知事に就任中国産毒入り餃子事件
    • 4月:山口県光市母子殺害事件に死刑判決
    • 5月:この頃から、無差別殺傷事件が連続して起きる
    • 6月:四川大地震“に続き、日本でも”岩手大地震“が…
    • 8月:北京五輪、福田首相、辞意表明
    • 9月:”リーマンショック→”金融危機“へ…福田内閣、総辞職麻生内閣、発足【第3次禅譲内閣
    • 11月:アメリカ大統領選挙→民主党が勝利
  • 2009年(平成21年)
    • 1月:”バラク・オバマ“氏が米国初の黒人大統領に就任【民主党政権】→アメリカの”チェンジ“(!?)
    • 2月:映画『おくりびと』がアカデミー賞最優秀外国語映画賞を受賞【引き続いて根強い”COOL Japan“ブームか!?】
    • 3月:森田健作“が千葉県知事に就任WBC“で原ジャパンが連覇
    • 4月:北朝鮮の”飛翔体“【ミサイル!?】発射騒動
    • 5月:小沢民主党代表、辞職鳩山由紀夫氏、新代表に就任
    • 6月:岡田ジャパン、”2010年南アW杯“へ世界最速で予選突破
    • 7月:東京都議選“で民主党圧勝衆議院解散【「追い込まれ解散」か「後の先解散」か!?】
    • ~以後、予定〔予測〕として…

    • 8月:衆議院選挙、投開票
    • 9月:首班指名→新内閣発足【「政権交代」か「政界再編」か!?】
    • 10月:2016年五輪開催都市決定
  • 2010年(平成22年)〔予定〕
    • 2月:バンクーバー五輪
    • 4月:国際宇宙ステーション完成、団塊世代の大量退職本格化
    • 6月:”南アフリカW杯“、開催
    • 7月:参議院議員通常選挙【新政権下でねじれ国会の解消なるか!?それとも、再びの「政界再編」などの呼び水となるか!?】
    • 10月:アメリカで中間選挙【オバマ大統領は信任されるか!?】

※ざーっと眺めただけでも、いかに人間とは「おなじことを繰り返すのか!?」ということが見て取れる。これこそ、《歴史は繰り返す》を地で行っているワケである。それも、およそ”十年周期“【あるいはまた、”一回り“の12年周期という説もあるが…】で。

  1. 概ね、「○○○9年」と「○○○0年」には大きな出来事は起こらず、「●●●1年」という”十年“【Decade】の最初の年《大事件》は起きていること【1991年の”湾岸戦争“と”ソ連邦崩壊“に、2001年の”911テロ“】。そうすると、次は”2011年“がヤバイ!ということになるが、この年には、《完全地デジ化》《情報通信法》の施行が控えている。一体、どうなることやら!?
  2. アメリカは、ほぼ”8年周期“で共和党政権【パパ・ブッシュ】→民主党政権【クリントン】→共和党政権【子ブッシュ】→民主党政権【バラク・オバマ】…と、規則正しい《政権交代》を繰り返して来ていて、現在はその4周目に当たるということ。私は、個人的には同世代だしオバマ大統領を応援したいが、その一期目は、前ブッシュ政権8年間の”尻拭い“に終始するかもしれない!?ということに危惧を抱いている。
  3. 翻って日本の場合、1993年に新党ブームで”細川連立政権“が成立して以降、純粋な非自民党政権は生まれていない。その意味では、政治の世界でも《失われた15年(20年)》と言えるのかもしれない。”二大政党制“が定着しているアメリカの事情は差し引くとしても、日本の場合、これほどまで同じような政体が長らく続いてきた…という事実は、異常なまでに奇異であること。ただ、アメリカのような”二大政党制“も日本にはしっくり来ない気がする。

★来る、”8/30(日)“の総選挙…今回ほど、投票に悩む選挙は初めてだ。
~何となく、ムードで”政権交代“が起きる…かのような報道がなされているが、4年前の”郵政解散・総選挙“の時とはワケが違う。この4年間で、日本では一層のブロードバンド化が進んだことはもちろんだけれども、何より、私たちは、昨年秋、プロが自ら仕掛け、将来の目測を見誤り自ら破綻したことに起因する《金融危機》を目の当たりにしたのだから。アレをみた後では、もう既に、「これから、一体誰を頼りにしたらよいのだろう?」と素朴な疑問を抱いても不思議ではない。各国のいわゆる”エスタブリッシュメント層“に対して抱いていた無垢の信頼までもが揮発してしまったのだから…。

☆そんな折、解散前に出版された、小林よしのり氏の『天皇論』〔小学館のムック、いわゆるマンガによる解説本〕が売れに売れている…という。考えてみれば、これは無理からぬ話だ。現代は、特に、日本では”精神的支柱“を失い、国家も国民もひたすら漂流し続けているような状況なのだから…アメリカみたいに、”黒人初の大統領“が強力なリーダーシップを発揮してくれる国と違い、日本では、二大政党が国民そっちのけで「解散する、解散しない」でモメているのだから、どこか歯車が狂い始めていると思わざるを得ない。はァー、難儀な時代になったもんどすなァ…

『天皇論』〔小林よしのり;小学館ムック;2009-08-15〕画像

~本音を言えば、自民党単独でも、民社党単独でも、政権を取って欲しくない。それは、両党の成り立ちを思い出してみれば当然のことで、マニフェストを見ても先鋭的な対立点は見当たらないし、両党共、財源の問題など方法論のみに終始し、《あるべき国家像》などを指し示せていないからだ。かと言って、国民のほうでも、先の『天皇論』が爆発的に売れていることが象徴するように、日本という国の”国体“や”政体“に関する正しい知識を持ち合わせないし、また、ちゃんと教えられて来なかった…そのツケが今頃回ってきているとも思える。私は、”小林よしのり“の狂信者では決して無いが、それでも、彼の著作にはちゃんと背骨が一本通った一貫性を感じてもいる。なので、月末にも控える選挙での投票を決めかねている人たち【自分も含めて】に向けて -
・小林よしのり:『日本を貶めた10人の売国政治家』〔幻冬舎新書〕
・小林よしのり:『世論という悪夢』〔小学館101新書〕
~政治家も世論も、”ポピュリズム“【大衆迎合主義】に陥りつつある世相に対し、鋭く警鐘を鳴らしているようでもあり、なかなかタイムリーな本だと感じた。あとは、これら情報を私たちがどう理解し、どんな投票行動に結び付けるか!?ひとえに、私たちの内なる”日本人力“にかかっている…と示唆しているように思えてならない。もうそろそろ、目を覚まさないとイケナイってか!?

2009年 8月 8日 Posted by | Economy, History, Politics | , , | コメントを残す

★『メディア論』の極み…ココまで言うかっ!?

佐々木俊尚氏がまたまた”過激“な本を書きました。梅田望夫氏がどちらかと言えば、海の向こうのシリコンバレーからの《IT-WEBへの楽観的な礼賛論者》なのに対し、佐々木氏は元新聞記者であるが故の《IT-Mediaへの悲観的な現実論者》といったスタンスを保ち、好対照をなしています。まァ、これからメディア界を”侵食“していく側のIT-WEB業界からすれば、新聞・テレビなどのマスメディア従事者には何とも危機感が足りないということに対する警告の書でもありますね。

『2011年 新聞・テレビ消滅』画像

・佐々木俊尚:『2011年 新聞・テレビ消滅』〔文春新書#708;2009-07-20〕
~タイトルからして、何とも”過激“かつ”挑発的“なものである。だが、日常生活で新聞やテレビなどを注意深く観察していると、佐々木氏の主張はあながち荒唐無稽なものではないし、さほどセンセーショナルなものではないことが分かってくる。そう言えば、NHKの集金人は来ても新聞の勧誘員は来なくなったなァ!?とか、テレビのCMが微妙に短く【殆どがクォーターと呼ばれる”15秒CM“】なり、いわゆる番宣の挿入が増えているなァ!?とか。それも、飲料メーカーなど季節商品ものが大勢を占める一方で、《地デジ関連広告》が増えているし、それこそ公告も増えた。【もっとも、今夏は選挙モードだから致し方ない面もある】

  • メディアに対する”視聴スタイル“の変遷
  • ~そう言えば、去年の今頃来た新聞勧誘員が語っていた。「ご近所でも、最近、すごい勢いで新聞の購読を止めていっています…それも、お年寄りがね」と。専業主婦層はチラシ欲しさに新聞を取っていたという話も今は昔。スーパーのチラシは携帯やPCでも見られる世の中になった。【《Shufoo!》(しゅふー)やケータイ配信のスーパーのメルマガなど】最後の砦と言えるお年寄りが新聞を取らなくなるとは、これはもう末期症状と言えるのではなないだろうか!?【お年寄りなどシニア層は早起きなので、散歩も兼ねて駅前のスタンドへ新聞を買いに行くのが習慣にもなっているし、もっと言えば、アクティブ・シニア層までもが携帯やネットを使いこなすようになってきたことの現われでもあるのでしょう!?】

  • いわゆる”マスの消滅“という現象
  • ~今からおよそ25年ほど前の”バブルピーク期“には、「少衆・分衆論」が盛んだった。電通のPR局長だった藤岡和歌夫氏が提唱したものだが、”昭和元禄“と呼ばれる空前の消費ブームの中、一見冷や水を浴びせかけるようなこの考え方は、消費の記号化差異化というコトバまで産み出した。とは言え、それはあくまでも広告代理店などが流行やブームを創り出し先導する…という前提条件付でのことだった。今現在、そうした創り出された流行や仕掛けられたブームにホイホイと乗ってくれる消費者は皆無である。【そもそも消費者ではなく、「生活者」という用語が正しいのだという一種の神学論争紛いの議論もあった】メディアのリーチ先であるマスが消滅したのだから、(マス)メディアのあり方も変わらざるを得ないのに、現実はそうはならず、21世紀の”デジタルエイジ“を迎えてしまったのである

  • (マス)メディアの”プラットフォーム“が液状化【多様化】している…という現実
  • ~これは、グーグルの及川卓也氏の説明によるものである。氏によれば、(マス)メディアの構造は三層構造になっているのだと言う。【これは、頭文字をとって”3C構造“とも言われるらしい】

    • 新聞なら -
    • コンテンツ:新聞記事
      コンテナ:新聞紙面 → ニュース・ポータル検索エンジンブログ2ちゃんねるなどへ…
      コンベヤ:販売店 → インターネットへ…

    • テレビなら -
    • コンテンツ:(テレビ)番組
      コンテナ:テレビ → テレビ、ケータイゲーム機パソコンなどへ…
      コンベヤ:地上波、衛星放送、CATV → 電波ケーブルテレビインターネット(ブロードバンド)などへ…

    ※これは、これまでの新聞社やテレビ局のプラットフォーム基盤】としてのメディア産業への独占が崩れ【だからこそ、”マスコミ“すなわち「ブロードキャスティング」が成り立っていたのだが…】、主戦場が”コンテナ“【メディアの搬送体】へと移ってきていることを象徴している出来事で、”情報のデジタル化“がこの傾向に拍車をかけると予想されています。そして、逆戻りはあり得ないことなのです

  • 新聞界の今後は!?
  • ~元新聞記者だけあって、新聞界についてはテレビ界の倍近くもページを割いている。そして、文化革命の歴史における冷徹な現実だとして、「新聞の敗戦」を位置付けている。だが、ココまで悲観することはないと思う。確かに、新聞を買う人は減ったけれども、新聞記事を読んだり活用する人たちは間違いなく増えているのだから…言わば、新聞というコンテンツの”利用形態“が変わったに過ぎない。なので、”プレス“という職業がなくなる訳でもないし、真に価値ある情報を読者の望むスタイルで届けられるよう、《発想の転換》をすべきなのだろうとは思う。ちょうど、写真屋さんがホーム・パブリッシング(ホーム・プリンター)の普及の際、それを逆手に取って《オフィス・デポ》のような業態へと鞍替えし生き延びたように…デジタル情報の特徴は、「コピーコスト=0」であることを利用し、あらゆる”デジタル・パブリッシング“のニーズに応えようとした試行錯誤の結果の副産物だった。【特に、新聞販売店の経営者の人たちは、このことに注目すべきだとも思うし、巷を騒がせている「コンビニFCの本部と加盟店の問題」も、実は、新聞界で起きている問題と根っこは同じであると感じている】

  • テレビ界の今後は!?
  • ~むしろ、悲惨なまでに問題なのはこのテレビ界のほうかもしれない。何故なら、同じ”デジタルメディア“を扱う《音楽界》成功例があるからだ。周知の通り、音楽界でのコンテナはAppleのiTunes Storeに、コンベヤインターネットに、それぞれ取って代わられつつあり、テレビ界では、事実上のコンテナTouTubeニコニコ動画などのITベンチャー企業に、コンベヤインターネットになりつつある。【まだ、”著作権“上の問題はクリアされていないが、アメリカでは”ビジネス・パートナー“として業務提携の動きが顕著であり、この方式により、メジャーレーベルはむしろ収益力をアップさせながらの業容回復に成功したのである】
    ~そして、もう一つの本質的な問題である、”電波利権(電波行政)“の問題…こちらのほうが見過ごせない悩ましい難題になりつつあるのだ。それは、2011年《完全地デジ化》がなされ《情報通信法》が施行される…ということだ。先ず、《完全地デジ化》の本質を因数分解すると、一つはテレビのコンベヤがアナログの地上波からデジタルの地上波へ変わるということと、場合によっては【離党や山間部などの”難視聴地域“では】NTTの光ファイバーCATV等の代替手段に頼らざるを得なくなるということである。この後者の視聴方式は、いわゆる《ネット視聴》のスタイルであり、図らずも、「テレビはパソコンとインターネットでも見られる」という事実を一般に知らしめる結果ともなった。次に、《情報通信法》施行の本質はこうだ。単純化して言えば、「これまで、テレビは”放送法“で、電話やネットは”電気通信事業法“でと、メディアによって分かれていた法律を一本化してしまう」ことである。つまりは、テレビの”コンテンツ“をオープン化するということ。これによって、現在、テレビ局がメディアの”三層構造“【3C構造】の全てを握る独占状態は崩れ、今後、この開放されたコンテナコンベヤなどを巡り、激しい《プラットフォーム争奪戦》が起こるであろうと予想されている。【逆から見れば、テレビ局は、単なるコンテンツ・メーカーの地位に留まるしかなくなるかもしれない!?ということ】その前哨戦として、ゲーム機メーカーの任天堂Wiiで、ネット企業のGoogleが携帯電話用OSのAndroidで、それぞれ、次世代”STB“【セット・トップ・ボックス】の世界標準化を虎視眈々と狙っているとされる。
    ~もう一つ、《完全地デジ化》《情報通信法》施行に関しては、大きな”矛盾点“が残されている。従来の”電波法“ではユニバーサル・サービス【全国どこでもあまねく等しいサービスを行き渡らせること】をうたい文句としてしていただけに、電波は国家の財産【公共財】としてテレビ局など事業者は”電波料“を支払いメディア企業としての権利を買っていた。しかしながら、”放送法“では区域外再送信が制限され、「再送信は同一区域(エリア)内に限る」という妙なことになっていて、特に、民放の東京キー局と地方のCATV局などと頻繁に係争の種となっている。【さらには、CATV局は各都道府県に1社に限るという法令の縛りが事態をややこしくしている】ただ、来る2011年《完全地デジ化》によって、いわゆる「タイムシフト」「プレイスシフト」「スタイルシフト」という《TPSシフト》が起きるとされているだけに、この紛争もほどなく雲散霧消してしまうのかもしれないが…

2009年 8月 5日 Posted by | Business, IT-WEB | , , , , , , , , , , | コメントを残す

☆新設!! - 《PHP+MySQL》で自作WEBアプリに挑戦…!?

★これまで、『週刊電説』【Dense2’s Blog Weekly】ではオンラインWP:WordPressワードプレス】のことばかりに触れてきました。でも、探究心の強い人にはアレだけでは物足りなかったかもしれません。なので、今回は、”インストール型“にチャレンジするための前段階として、《WAMPP/XAMPP》ワンプ/ザンプ】という「開発環境」について、少しだけお届けしますね。

WP:WordPressワードプレス】などのいわゆるWEBアプリ(ケーション)は、コアは《PHP+MySQL》という、一種のプログラムの「」【モジュール】になっているのですが、それを開発しながら安全に試運転(テスト)するためには、それなりの「開発環境」が必要です。これらをマトメた、”フリー“【オープンソース】のものに、《WAMPP/XAMPP》ワンプ/ザンプ】というスグレモノがあります。これは、自分のPC内で”ローカル“【インターネットに接続しないオフラインの状態】で《擬似サーバー環境》を提供してくれるオール・イン・ワン・ソフトです。これを使うことによって、自分のPC内の”WEBブラウザー“【IE:InternetExplorerFF:FireFoxなど】で確認しながらセキュアな環境下での開発が可能になります。

《XAMPP》ザンプ】について -
~これは、実質、”Windows“対応のPCを前提としているので、《WAMPP》ワンプ】ということです。尚、Mac対応のPC向けには《MAMPP》マンプ】というものがあります。

  • WAMPPの入手先⇒ http://www.apachefriends.org/jp/xampp-windows.html
  • WEBサーバー:Apacheアパッチ
  • スクリプト言語:PHP
  • データベース:MySQL
  • …の「三点セット」に加え、PHPでよく使う汎用プログラム・セットをマトメたライブラリーである”PEAR“【PHP Extension and Application Repository】なども入っています。

Smartyについて -
~このWP:WordPressワードプレス】にせよ、いわゆるWEBアプリケーションの構造は、”ロジック“【データ管理】を担う《PHP+MySQL》などのモジュールと”デザイン“【テンプレート】を担う《(X)HTML+CSS》などのテーマ(スキン)・セットから成り立っているのですが、この両者をつなぐテンプレート・エンジン」として”Smarty“というものがあります。【一種のPHP拡張書式みたいなもの】

  • Smartyの入手先⇒ http://www.smarty.net/download.php
  • …この”Smarty“を使うメリットとしては、特に、オンライン・ショップなど更新頻度の高いWEBサイトの場合、ロジックとデザインを切り離し主に「データ管理」の部分のみに専念して作業が進められるというメリットがあります。

参考図書について -

・藤本 壱:『作って覚える PHP+MySQLアプリケーション - ブログ、ショッピングサイトからマッシュアップまで〔ソシム;2008-07-03〕

    = 目 次 =

  • 第1章:開発環境を整える〔主に、XAMPPについて〕
  • 第2章:MySQLの基本とPHPからの利用
  • 第3章:Smartyでロジックとデザインを分離する
  • 第4章:ミニブログのシステムを作る
  • 第5章:ショッピングサイトのシステムを作る
  • 第6章:マッシュアップWebアプリケーションを作る

『作って覚える PHP+MySQLアプリケーション』画像

参考著者のブログサイトJP-WP.comボタン

2009年 7月 22日 Posted by | IT-WEB | , , , , , , , , , , , | コメントを残す

★移設予告!!★

☆平素は、この『週刊電説』をご覧いただき、誠にありがとうございます。 <(_ _)>

WP4JP.WPcom:『週刊WP』のPRバナー

※一部の読者からご要望がありましたので -

  • WP“【WordPress | ワードプレス】関連の「特集記事」
  • サッカー“【フォーメーション】関連の「コーナー」
  • 戦略論“【『孫子』 | 『呉子』】関連の「コーナー」
  • …などは、別ページに移設していく予定です。

]この『週刊電説』は、当初のスタイル、すなわち、《BLog》Book Log:「読後日記」】風に戻す予定ですので、ご了承下さい。

2009年 7月 15日 Posted by | History, IT-WEB, Politics, Soccer, Tactics, WordPress | , , , , , , , , , | コメントを残す

◎都議選「夏の陣」~「衆議院解散」までの流れを『孫子』風に解説すると…!?

☆「勝って兜の緒を締めよ」ではないが、日曜深夜の都議選後、民主党の”第一党“と”自・公の過半数割れ“が判明した直後でも、民主党幹部は、一様に(笑いを噛み殺していたのかもしれないが)表情は硬かった。それも無理はないのかもしれない…何と言っても、今回に限り、民主党の《選挙戦略》がまんまとハマったからでもある。週明けからは、いよいよ”解散・総選挙“をニラんでの本格的な《夏の陣》が動き出す。民主党は、”政権交代“に向けた、大詰めの仕上げの段階を迎えたと言える。

★一方の自民党…麻生首相は何とかココまではと思っていた”イタリア・サミット“までは政権を保たせた、否、しがみついて来た。「後は野となれ、山となれ…」ではないだろうが、相当覚悟を決めての帰国だったようで、当初予想より一週間遅れではあるが、”解散予告“という伝家の宝刀を抜いてみせた。妥協の産物ではあるだろうが、麻生総理にしてみれば、何とか自分の面子とプライドを守れたのだから佳しとするか!?てな感じなのだろう。氏の”(官邸)籠城作戦“は、結果的に、《四面楚歌》の状況を招いただけだった。

◎この一連の流れを、『孫子』風に解説してみると -

・山本 七平:『「孫子」の読み方』〔日経ビジネス人文庫;2005-08-01〕

~今から思えば、この文庫本の出版が2005年8月1日とちょうど4年前になるのは、偶然の一致にしてはでき過ぎのような気がする。【あの”郵政解散・総選挙“の直前だからです】

『「孫子」の読み方』画像

『孫子』による分析・解説【尚、一部は『呉子』による】 =

・第一の”ターニング・ポイント“:2008年10月末頃
~かえすがえすも、麻生内閣発足直前に起きた”リーマンショック“とその後の”金融大不況“に対する《アセスメント》影響評価】を、実際よりも低く見積もった楽観的態度、これが今に至る”過ち“の始まりだったと思われる。

  • 「孫子曰く、兵は国の大事にして、死生の地、存亡の道なり。察せざる可からず。故に之を経むるに五事を以てす。一に曰く、二に曰く、三に曰く、四に曰く、五に曰く。故に之を校するにを以てし、其のを索む。〔以下省略〕」【『原孫子』:1.計篇より】
  • ~麻生首相にこんな基本中の基本をアドバイスする気などさらさらないが、約一年後、予想もしていなかったレベルにまで”追い込まれる“ことが分っていたなら、政権発足時の”情勢分析“をもっと謙虚にできていただろうに…と残念ではある。
    因みに、とは統治者と国民の一体感のことで、麻生政権の最大の弱点がこれにあったことをご本人はハッキリと自覚しておられたのか!?と思う。三代続いての国政選挙の審判を経ない総理という”正統性の欠如“、これを考えたなら、就任直後の”解散“が、むしろ、正攻法に見えてくるから不思議なものだ。次のとは自分の力では変えられない時間的・時代的前提〔制約〕のことで、これも、当時の麻生首相にとってはまさに”逆風“だった。三番目の地とは地理的条件または立地条件のことで、現代風に言えば、ポジショニングとでも言えようか!?同盟国:アメリカが弱体化し、BRICs特に”中国“や”ロシア“が相対的に存在感を増す中で、”外交の麻生“を自認する総理がどんな手腕を振るうのか!?この点だけには期待を持った人たちも少なくなかったのではないだろうか!?四番目の将とは司令官のことで、これは、自らが組閣した大臣事務次官クラスの”人事権“の発露だったが、これも中途半端に終わった。要するに、最も大切な自らの”レゾンデートル“【道を切り拓くための強い”存在意義“】、これが決定的に欠けていた、あるいは、国民にアピールできなかったが故に、結局、精神論頼みの強行突破のような内閣の船出となった感は否めない。最後の法とは法・制度・組織原則のことだが、これは分りやすく言えば、自らの拠って立つ存立基盤のようなものである。麻生政権は、この部分でも、発足の当初からその物理的な意味でも精神的な意味でも、極めて”脆弱“な政権ではあった。そして、逆風下の日本丸をどこへ導こうとしているのか!?その”“も示せなかったし、情勢分析のための”“も充分とは言えなかった。

・第二の”ターニング・ポイント“:2009年年頭の国会冒頭
~昨年末に、”派遣切り“や”(日比谷)年越しテント村“などの騒動は起きたものの、実質の”緊急避難“的な経済対策などは既に出尽くした感があった。だから、アメリカでの”黒人初の大統領誕生“というビッグ・イベントに埋没しないうちに、「解散を打つ」というのが最良のタイミングだったと思われる。
しかしながら、何故か!?首相はみすみすこの好機を見逃してしまった…どの道、景気はこの1-3月期が”大底“と見られていただけに、英断して欲しかったと悔やまれてならない。

  • 「占わずして、これ(戦争)を避くる者(相手)六あり。〔途中省略〕凡そ此れ敵人に如かずんば(及ばない)、これを避くること疑うなかれ。いわゆる可を見て速み、難を知りて退くなり」【『呉子』:料敵第二・二章より】
  • ~この時は、『呉子』《不戦均衡戦略》としての”解散権の行使“を断行するべきではなかったか!?と思われる。この時点では、自民党も民主党もさしたる”失点“はなく、国民にも「自公政権か民主政権か!?」という選択肢はまだ明確になっていなかった…むしろ、”政権協力“を呼びかける手だってあった筈なのに、、。

・第三の”ターニング・ポイント“:2009年4月上旬頃
~麻生政権の”唯一無二“の解散のチャンスはこの時だった。3月末に”WBC連覇“という偉業に日本中が沸き、その熱も冷めやらぬ中での北朝鮮の”飛翔体発射騒動“という国防上の危機が起こり、さらに、今度は政敵:民主党の小沢代表の”違法献金疑惑“の問題…これだけお膳立てが揃えば充分の筈なのに、この時も、総理は伝家の宝刀を抜かなかった。【抜こうとも思っていなかったのではないだろうか!?】現職の首相として、”正攻法“で「国民に信を問う」ことができる絶好の好機だったのに。

  • 「孫子曰く、兵は脆道なり。故に能にして之に不能を示し、用にして之に不用を示し、其の無備を攻め、其の不意に出ず。故に我戦わんと欲すれば、敵、塁を高くして溝を深くすと雖も、我と戦わざるを得ざるは、其の必ず救う所を攻むればなり。我戦を欲せざれば、地に画して之を守るも、敵、我と戦う得ざるは、其の之く所に乖けばなり。故に善く攻むる者は、敵、其の守る所を知らず。善く守る者は、敵、其の攻むる所を知らず。故に善く戦う者は人を致して人に致されず。」【『原孫子』:6.虚実篇より】
  • ~これは、殆ど解説の必要がないくらいに、平明で分りやすい”戦略“である。すなわち、常に「主導権を握り続けよ!」ということであり、この時は、どちらかと言えば、”“が何となく(ムードだけで)政敵の民主党のほうへ行きかけていたところに、スポーツと世界情勢で外からの刺激が与えられ、さらに、民主党自身が珍しく(!?)”チョンボ“を犯した直後だけに、時を置かずそこだけを一気に突くべきだった…麻生首相自身の妙なプライドが邪魔したのか何だか知らないが、この時も”冷徹“な将に徹しきれなかった。大甘だと言われても仕方がないだろう。

・そして、ついに、これまでの”ツケ“を支払わされる形で、運命の”都議選【「夏の陣」】へ…
~4月上旬の”復調期“での解散に打って出られなかった自民党は、その直後から、”地方首長選挙“での連戦連敗という、”兵の溶解“状況に陥っていく…いわゆる戦う前からの厭戦気分の蔓延現象である。こうなってからではもう遅い!

  • 「故に兵を用うるの法、其の来らざるを恃むこと無く、吾が以て待つ有るを恃むなり。其の攻めざるを恃むこと無く、吾が攻む可からざるを恃むなり。」【『原孫子』:8.九変篇より】
  • ~これは、マリナーズのイチローがいつも口にしていることではあるが、”準備の大切さ“に関わることである。民社党は、戦いの山場を”今夏“と早くから見据え、この”都議選“に向けた戦略すなわち”準備“を万事遺漏なく整えたフシがある。【その最たるものが、意表を突いた”公示直前の駆け込み追加公認“という奇策であった。”中選挙区制“の地方選挙では同党討ちの危険すらあったのだが、自公政権が”お家騒動(!?)”にかまけている間隙を縫うように、この策がズバリとハマった格好である】かくして、民主党は、4年前のリベンジを果たすべく、粛々と最後の”王手“を打ち終えたのだった…

2009年 7月 15日 Posted by | Politics, Tactics | , , , , , | 1件のコメント

◎「関が原の戦い」布陣を現代のサッカー・フォーメーション風に解説すると…!?

☆今日は「七夕」の日…あいにくの梅雨空ですが、410年前に遡り、「関が原の戦い」に思いを馳せることにしてみましょう!!

★「関が原の戦い」は慶長5年9月15日(1600年10月21日)午前8時前に火蓋が切って落とされた…とされています。
~で、その時の東西両軍の布陣は、下記の通りだったとされています。〔Wikipediaより転載〕

Wikipediaに掲載の「関が原の戦い」布陣図

東軍 vs. 西軍:戦力比較

  • 東軍:10万4千人
    • 徳川家康〔大老格:総大将〕:30,000
    • 徳川秀忠〔大名格:上杉討伐軍→中仙道守備隊へ〕:
    • 浅野幸長〔大名格:後詰〕:6,500
    • 福島正則〔大名格:先鋒〕:6,000
    • 黒田長政〔大名格:先鋒〕:5,400
    • 細川忠興〔大名格:次鋒〕:5,000
    • 池田輝政〔中名格:後詰〕:4,500
    • 井伊直政〔中名格:次鋒〕:3,600 ← “本能寺の変“後、武田領を侵食した際、召抱えた武田家遺臣〔”赤備え“の井伊隊として名を馳せる〕
    • ~ココまでの主要7将で、”61,000“人
      ]下線を引いた大名・中名は、元々は豊臣恩顧であったことを示しています

  • 西軍:82,000人
    • 毛利秀元(輝元名代)〔大老格:総大将:右翼挟撃軍〕:15,000
    • 石田三成〔奉行格:司令官:左翼後詰〕:6,000
    • 宇喜多秀家〔中納言:左翼主力軍〕:17,000
    • 小早川秀秋〔大名格:右翼主力軍〕:15,000 ← この”小早川の寝返り“が戦況を一変させたことはあまりにも有名!!
    • 長宗我部盛親〔大名格:最右翼挟撃軍〕:6,600
    • 大谷吉継〔中名格:後詰〕:4,100 ← “らい病患者“であったにも関わらず、石田三成への”友愛“精神から西軍へ参戦!!
    • 小西行長〔中名格:左翼主力軍〕:4,100
    • 吉川広家〔中名格:右翼先鋒〕:4,000 ← 当初から、”東軍への内応組“であり、結果的に、毛利軍本隊の参戦を食い止めたことで有名!!
    • ~ココまでの主要7将で、”70,700“人【陣形でも人数でも東軍を凌駕していたのですが…】
      ]下線を引いた大名・中名は、元々は豊臣恩顧であったことを示しています

<若干の補足>《時代背景

  • 東軍の布陣:魚鱗の陣
    ~”逆V字形“の中央突破的な攻撃的隊形

    • この布陣は、”野戦を得意とする“家康が必勝を期してとった布陣
    • 三方を山に囲まれた地形を逆手に取り、東西にとても長い”香車的“陣形
    • 最前線の”先鋒“部隊には、豊臣恩顧福島正則黒田長政を配し、功を競わせる戦法に出た
  • 西軍の布陣:鶴翼の陣
    ~”鶴が翼を広げたように見える“ことから名付けられた布陣で、どちらかと言えば、迎え撃つ防御的隊形

    • この布陣は、”先に着陣“し山麓などの”高所“を押さえると断然”有利“となる
    • 先ず、北国街道を挟む笹尾山麓石田三成隊が少し引いて陣を張り、反対側の天満山麓島津隊・小西隊が最前線部隊として張り出し、南側の伊勢街道への押えとして松尾山麓宇喜多隊・小早川隊などの主力を割いた。【ココに主力の”半数“以上が結果的には終結してしまった…】さらに、東軍の退路である中仙道への後詰の備えとして、南東端の南宮山麓に総大将格の毛利隊長宗我部隊を配置、万全の包囲隊形を敷いた。
    • 南側の陣、すなわち、鶴翼の”右翼に当たる小早川隊毛利隊吉川隊も元々は毛利御三家 三本の矢であり、隣の長宗我部隊も合わせれば、秀吉が懐柔策で臣従させた西国大名ばかりである…という点で、陣形はアンバランスでもあった

☆さて、ここで、サッカーのフォーメーションと対比しやすいように、布陣図を右へ90度回転させてみましょう!!

Wikipedia掲載の「関が原の戦い」布陣図の縦置き解説図

= (現代サッカー風の)フォーメーション解説

  • 東軍のフォーメーション4-2-2-24-4-2
    • 最終ライン後詰】から最前線へ行くほど先細りする”クリスマス・ツリー“隊形
    • 最前線と最終ラインの間の距離が恐ろしいまでに開いてしまっている【”間延び“した隊形:縦長布陣】
    • 半面、最前線の”先鋒隊“は程良く密集しており、コミュニケーションはとりやすい
  • 西軍の布陣WWシステム
    • これは、サッカーで言えば、1925年の《オフサイドルール改定》時に、アーセナルが採用したMWシステム【3-2-2-3システム】に近い
    • オフェンス陣もディフェンス陣も”二段構え“でサイドを広く使いワイドに展開している
    • 陣(選手)間の距離がほぼ”等間隔“なので、コミュニケーションはとりやすい

実戦での戦評

  • サッカーのWMシステム3-2-2-3システム】に近い西軍の鶴翼の陣は、本来なら、攻撃時は二列目・三列目からどんどん選手が飛び出し分厚く攻めることができ、守備時は高い位置からどんどん敵を取り囲み包囲殲滅できる布陣の筈だった
    ~実際は、右翼主力軍の小早川隊が東軍へ寝返ったため、スグ隣の大谷隊はもちろんのこと、左翼主力軍の小西・島津隊までもが”側面攻撃“される形となり、鶴翼の陣形は自壊してしまった
  • また、右翼主力軍の小早川隊と南方の東南後詰軍の毛利・安国寺・長宗我部隊との距離が開き過ぎていたので、コミュニケーションはしっかりととれていなかった
    ~さらに、身内の吉川隊が主力軍の毛利隊下山を阻む陣取りをしていたため、結局、毛利隊は参戦できなかった。【また、四国の長宗我部隊は終始”日和見を決め込んでいた】
  • 一方の東軍…ブラジル並みの4-2-2-2(4-4-2)システムに近い魚鱗の陣は、実は、”中央突破“型の集団戦法、すなわち、”力攻め“のスタイルだった
    家康関が原の中仙道沿いのほぼ中央に”司令塔“然の本陣を堂々と敷けたのも、後詰山内一豊など東海道筋の豊臣恩顧の大名たちを事前の政治工作で味方につけていたことと、最も信頼する”西国大名“の池田輝政を、同じく西国大名の毛利・長宗我部隊と対峙させていたからである【政治的な”兵力分断“作戦…結局、南方戦線は”戦力の真空地帯“(日和見戦線)と化してしまい、サッカーで言えば、サイド攻撃が全く利かない状況に陥ってしまった】

★歴史に「もしも」はつきものだが、この状況で、西軍に唯一の”勝機“があったとすれば…
~それは、開戦直後の”最初の二時間“にしかなかったと思える。長引けば長引くほど、家康の”政治工作“が功を奏し、西軍の西国大名たちがどんどん寝返るか日和見を決め込むかした筈だからだ。ブラジル並みのFWを擁する血気盛んな福島隊黒田隊などを早々に叩き殲滅しておければ、良い条件での”講和“に持ち込むことくらいはできただろうに…とは思うのですが。【蛇足ながら、こうした西国大名、特に、この毛利御三家毛利小早川吉川】への戦後の冷遇(約束反故の”減封“)が西国大名たちの《忘れまじ、関が原》の風潮を生み、後の”明治維新“の原動力ともなった…という説もありますね。しかしながら、当時の西国大名たちは概して”日和見“主義であり、勝てた戦に勝利できなかった…という”勇気のなさ“と”戦局眼の欠如“のことも、決して忘れるべきではないと思うのです】

参考]海上 知明:『信玄の戦争 - 戦略論『孫子』の功罪』〔KKベストセラーズ;ベスト新書#124;2006-11-20〕

~これは、武田信玄が傾倒した戦略論:『孫子』と織田信長が(無意識に)援用したマキァベッリ:『君主論』の比較考察から、『孫子』の”限界“をあぶりだした本です。この中で、信玄が好んだ”鶴翼の陣“や信玄の宿敵:謙信が好んだ”車懸りの陣“、それに、軍神:山本勘助が編み出した”啄木鳥戦法“などの解説がとても詳細に記されていて、参考になります

『信玄の戦争 - 戦略論『孫子』の功罪』画像

2009年 7月 7日 Posted by | History, Soccer | , , , , , , | 1件のコメント

☆『クラウドソーシング』〔ヒューマンネットワークの夜明け〕

※『クラウドソーシング』:はしがき〔ヒューマンネットワークの夜明け〕より

  • 二人のジェイク
    • 『スレッドレス・ドットコム』
    • ~”二人のジェイク”、すなわち、ジェイク・ニッケルジェイコブ・デハートという二人の大学中退者は、2000年頃、自分たちで”デザイン・コンテスト“の会社を興した。数ヵ月後、『スレッドレス・ドットコム』というWEBサイトを立ち上げ、デザイン投票⇒優勝者へは商品化&販売権を付与というシンプルな方式で、瞬く間に《Tシャツ・コンテスト・コミュニティ》を成長させていく。特徴的なのは、全くの”アマチュア同好会“でありながら、(ITベンダーなどを除けば)プロや業者の手を借りていないことにある。

  • 偶然の経済
    • 『アイストックフォト』
    • ~”二人のジェイク”がTシャツのビジネスを始めた頃、”ブルース・リヴィングストン“も新しい事業に乗り出していた。『アイストックフォト』というWEBサイトを中心として《写真コミュニティ》が育まれていった。ココの特徴は、写真の使用料を通常のプロサイトでの価格の”1/100“程度に抑えたことと、その使用料をサイトと撮影者【著作権者】との間で”折半“したことである。【後に、”ゲッティ・イメージ“社に買収されるが、これは、YouTubeGoogleに買収されたケースと似た例だった】

    • 《デジタル・ネイティブ》の出現
    • ~これは、”未来学者“のアルビン・トフラーがその著書:『第三の波』の中で予言した、”プロシューマー“の登場に等しいものがある。すなわち、消極的(受身的)消費者から”積極的(参画的)発信者“へ…という流れである。しかも、この流れは、現在の「十代」【ティーン・エージャー】を中心として、確実に成長しながら力強いトレンドになっていっている…とされています。

    • 《ユーザー生成コンテンツ》の隆盛
    • ~例えば、”コンバース・ギャラリー“という広告キャンペーンなどのように、製品メーカーの広告代理店がその消費者たちのような一般”ユーザー“から広告を募り投稿させるとか、素人起点の”UGC“【User Generated Contents】や”CGM“【Consumer Generated Media】を取り入れる企業が増えていること。これこそが、”ニューメディア“だともてはやされている。

    • こうした状況が生まれる動因として -
      1. 生産コストが安いこと
      2. 行き場のない才能や創造性が持て余されていること
      3. インターネット上に同好の士のコミュニティが築かれていること
    • などが挙げられています。

    • ソフトウェア開発における《オープンソース・ムーブメント》との融合
    • ~OSの”リナックス“しかり、サーバーソフトの”アパッチ“しかり、ウェブブラウザーの”ファイアフォックス“【モジラ】しかり…「情報経済」のインフラの多くはこうした”ボランティア“の集団によって作られ支えられてきた。つまり、かつては、企業の正社員だけが手がけていた仕事を、大抵は低賃金で、あるいは無償で、集団として完成させるわけである。そして、人間に関する重大な真実として、しばしば企業よりもコミュニティのほうが効率良く仕事を進められるということが明らかになってきました。

    • P&Gの挑戦
    • ~創業から160数年を経たかつての優良企業:プロクター・アンド・ギャンブルP&G】は2000年半ばに苦境に立たされた。画期的な新製品を作れなくなり、株価は50%も下落、この緊急事態に新任のCEO:A・G・ラフリーを迎え経営の舵取りを任せる賭けに出た。彼は、「開放せよ」をスローガンに販売部門と研究開発部門、エンジニアリング部門とマーケティング部門を隔てる壁を取り払うと同時に、会社と仕入先、小売店、顧客との間の壁も取り払った。その上で、”《オープンソース》の開発手法を採り入れ、退職した研究員のコミュニティ・サイト:『ユア・アンコール』の開設に手を貸し、さらに、東欧・中国・インドなどの国々での知的資本推進エンジンとなりつつあった『インノセンティヴ』と呼ばれる、14万人の科学者からなるネットワークを活用することにした。これらの戦略はズバリ当たり、株価はそれまでの最高値を上回り、純利益は2007年に以前の3倍(100億ドル)を稼ぐまでに復調しました。【”IBM“はこの手法に早くから着目し、『アイデアジャム』というサイトを立ち上げています】

    • アメリカらしい「正しい民主的手続き」の復権として…
    • ~これは、サン・マイクロシステムズの共同創立者:ビル・ジョイによって最初に指摘された、「誰であろうと関係ない。頭のいい人びとの殆どは他人のために働く」という革新的な真理を、《功・利他主義》という超・楽観的なレベルにまで信じようとする、いかにもアメリカ人らしいメンタリティでもあります。

  • 小さいパーツの革命
  • クラウドソーシングはインターネットと密接に関わっているが、その本質はテクノロジーには関係ない。それよりも重要なもの、興味深いものはテクノロジーによって生じる行動であって、特に、インターネットを介して沢山の人々が団結し、(自己)組織化して、生き生きと、パワフルに活動する可能性が出現しつつある…ということです。”Wikipedia“というネット上の百科事典の編纂にその片鱗は見られたが、最近では、『SETI@home』【JP】という”地球外生命体探索PT“への応用がその好例です。これは、一時もてはやされた”グリッド・コンピューティング“【分散コンピューティング】の考え方に似ていますが、インターネットをシステムの基盤【プラットフォーム】に据えた点でクラウドソーシングのほうがよりダイナミックであると言えるでしょう。
    そして、この考え方の優れている点は、一般人の”スペアサイクル“【空き時間などの余剰処理能力・リソース】を拝借している…というところです。たまたまではありますが、今後、世界的に”ダブルワーク“や”トリプルワーク“などの《マルチタスクの時代》が恒常化していくトレンドの中、人間はようやくコンピューターの”クロック・サイクル“に合わせた働き方を得られるようになったと言えるのかもしれません。ネットには”常時接続“しているけれども、コンピューターを操作するのは”スペアタイム“で…というこのスタイルは、忙しい現代人には打ってつけなのかもしれませんね。

  • 結びとして - ヒューマンネットワークの明るい未来
  • ~インターネットは人々を孤立させる…という不吉な予言とは裏腹に、クラウドソーシングはインターネットのテクノロジーを利用し、様々な土地で、様々な背景の下に暮らしている人々に、団結し、意義ある交流をする機会を提供しつつある。また、クラウドソーシングは、もう一つの関係を築きもする。それは、”企業と顧客との協力関係“である。
    そして、《マズローの欲求五段階説》に示されているように、人々は自分の才能を養うことや、自分の知識を誰かに教えることには大きな喜びを感じる。【”自己実現・表現欲求“としてのコミュニティーへの”貢献意欲“の発露】クラウドソーシングでは共同作業そのものが”報酬“となる”善循環“が生まれつつある…としています。
    また、クラウドソーシングは、まさかと思うような所から才能ある人々を引っ張り出すという不思議な傾向を持っていて、大掛かりな”才能発掘装置“のような様相を呈しつつあり、これはまさに、《ロングテール現象》のより”純化“した形だと言えるでしょう。【”YouTube現象“がその際たるもの】
    この点で、クラウドソーシングは、文字通り、地球の”フラット化“を加速する推進エンジンでもある…としています。【コールセンターの相次ぐ”BRICs移転化“などに顕著な現象】

『スレッドレス・コム』スクリーンショット:M-250

『アイストックフォト』【JP】スクリーンショット:M-250

『インノセンティヴ』スクリーンショット:M-250

『SETI@home』【JP】スクリーンショット:M-250

『BBC World News』スクリーンショット:M-250

『キヴァ』スクリーンショット:M-250

『セラバンド』スクリーンショット:M-250

『アサインメント・ゼロ』スクリーンショット:M-250

2009年 7月 4日 Posted by | Business, Economy, IT-WEB, Psychology | , , , , , | コメントを残す