Dense2's Blog Weekly

~『週刊電説』【Just Another KissBlog】

〔追悼〕マイケル・ジャクソン!! - 新たな伝説の始まり!?

★今日は特別投稿です…稀代のポップスター:マイケル・ジャクソンが、ロサンゼルスの自宅で6/25の日中、急死しました。
~彼はまだ50歳…同世代の私としてはやりきれません。最近、メジャーな人たちが若くして亡くなることが相次ぎ【つい最近も忌野清志朗さんが亡くなったばかりだし、また、同じ6/25の日に、チャーリーズ・エンジェルなどでお馴染みのF・フォーセット・メジャーズが末期癌の末亡くなりました】、何だか知らないけどずーっと”嫌~な感じ”が続いていただけに、チョット凹みたくなるような気分です。82年発表の『スリラー』が史上最高の”メガ・セールス“を記録したことやその中の”ムーンウォーク“などのダンス的振り付けが後の”Hip-Hop“にも影響を与えた…とか、世界のポップシーンの”革命児“だったことは間違いない。【自分はその頃、大学四年生だったか!?】

★その後、”Bad“”Beat It“【「ビートたけし」の芸名はこの曲にちなんだものと言われる】”Billy Jean“【個人的に最も好きな曲】の”3B“…と、立て続けに”スマッシュ・ヒッツ“をかっ飛ばしたマイケルだが、彼の功績はそれだけではなかった。所属する”ジャクソン・ファイブ“より少し前の70年代を席巻した黒人グループいわゆる”Black Music“の中でも、”EW&F“【Earth, Wind, & Fire】がより”スピリチュアル“【黒人霊歌の影響を強く受けた「魂の救済」のための”ダンス音楽“】の性格を色濃く残していたのに対し、少年期の11歳でプロデビューしたマイケルの独特の”歌唱力”は黒人独特のハスキーな”ファルセット・ボイス“の素晴らしさを気づかせてくれた。【彼自身、そして、ファンたちも、(永遠の少年である)”ピーターパン“の姿をダブらせていたのではないだろうか!?それが、後の《ネバーランド》建設につながっていったと思えて仕方がない】

★”ジャクソン・ファイブ“以降の「ソロ活動」では、兄の”ジャーメイン・ジャクソン“のアルバムの中でマイケルがその”ファルセット・ボイス“をフルに使って歌い上げているのが印象的で、そのアルバムを録音したカセットテープを愛車の中で擦り切れるくらい聴いたことを覚えている。【最近、よく似た曲を、何と!”EXILE“のアルバムの中で見つけ、とても驚いた。イントロの部分が酷似していて、その後、TVの連ドラでも使われたのではなかったっけ!?】だから、自分の中では、”ポップスの帝王“というよりも、《ファルセット・バラードの開祖》なのです。
~実際、その後に続く”ファルセット・ボーカリスト“としては、フィリップ・ベイリー【彼は元EW&Fのメンバー】やフィル・ペリー【彼は白人】などがいますが、マイケルを超える存在はついに現れませんでした。【20代の頃、音楽を演っていた時、当時最初のカラオケブームだったので、そのフィリップ・ベイリーの曲:「ゲットー」に挑戦したことがありますが、途中で頭が割れそうになり気分が悪くなったので歌うのを止めた苦い記憶もあります…その時のアルバム:『チャイニーズ・ウォール』も結構売れたんだっけな!?】

★今世紀に入って以降のマイケルについては、良い評判が殆ど聞こえてこなかった…もう既に、20年近く”公演活動“をしてこなかった彼だけに、この十年間を彼の”晩年“と呼べるとするならば、先に逮捕・釈放された音楽プロデューサーの”小室哲哉“の姿ともダブって見える。【もちろん、スケールは断然マイケルのほうがスーパーだが…】自ら、「最後のロンドン公演」【These are my final shows , performances in London. This is It.】と自らブチ上げてしまった(心の底では”ネバー・エンディング・ストーリー“だと思いたかったが故の)”ファイナル宣言“に、心身共に縛られてしまったのだろうか!?
【あまり思いたくはないが、彼の死の原因は”クスリ“の過剰服用による”ショック死“のような気がする…または、未必の故意的な”睡眠薬自殺“とか。近年の”病的なイメージ“が誇張され過ぎている嫌いはあるけれども、あながち、当たらずとも遠からず…といったところだと思う】
~スーパースターの死には”不慮の死“や”不可解な死“が多い。そして、やはり、マイケル純真な子供心を抱いたまま逝ったと思うのは私だけではないだろう!?こんなカタチではあるけれども、”ネバー・エンディング・ストーリー“としての新たなる《マイケル伝説》は幕を開けた…【「みんなで未来永劫ずーっと僕のことを想い続けてね…」ってか!?】改めて、合掌!!

追伸〕来年のW杯の開催地:南アフリカで行なわれている”コンフェデレーション杯において、マイケルの母国:アメリカがその死の前日の準決勝で”無敵艦隊”のヨーロッパ王者:スペインを破り決勝へ進出したことは、格好の”弔い“にはなるのだろう…

2009年 6月 27日 Posted by | Music, Mystery | , , , , | コメントを残す

♪Pastime Music⑤:TiM_FUNK’s Funky Original⑤

♪Stripper’s Ennui〔live〕 performed by TiM_FUNK at Tachikawa A A Company, Tokyo, 2002
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※コレは、”奇跡”のFunk Band:TiM_FUNKの最初にして最後のライブの収録曲。ライブハウスのカウンターにMD録音機を置かせてもらい録った。SONY製のステレオマイクは高性能で客席の息遣いや話し声まで忠実に拾ってくれている。この曲も、普段のスタジオでのセッションから自然発生的に生まれたものだが、個人的には、ジュリーのストリッパーを頭にイメージしながら叩いた。【ジュリーこと沢田研二のバックバンドだった”EXOTICS”が好きだった…PONTAも一枚噛んでた時期があった】あの時代の”やるせない”空気を表現した曲には仕上がったと思う。ただ、ギターはブルース系、ベースはパンク系、ドラムはファンク系…という”あり得ない”組合せのトリオバンドでも、こんな演奏ができるんだということのほうが新鮮なオドロキだった。【この直後、ベースの転勤で”自然解散”となった】

2009年 4月 30日 Posted by | Music | , , , , | コメントを残す

♪Pastime Music④:TiM_FUNK’s Funky Original④

♪Funky Cyueen!〔Take2〕 performed by TiM_FUNK at Kasai Studio GIQUE, Tokyo, 2001
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※前日の《クリスマス直前ねるとんパーティー》での演奏から一回り以上経ち21世紀に入った2001年、私は不意にまた”バンド”を組みたくなった。ただ、世紀末から音楽雑誌などでメンバーを募ったりしていたがあまりに効率が悪いため、初めて、”ネット”での募集を試みたら、これがイキナリ当たった訳である。この曲は、その新メンバーでのFunk Bandで最初の音合わせでスタジオへ入った際、たまたまMDに収録できたものだった。〔チューニングが終わり、何となくカウントだけで始めたら、延々と十分近くも演り続けてしまった…名曲というものは、こういう時に生まれるものなのだということを実感した。因みに、コレは”Take2″であるが、ついに実際の”ライブ”で演奏することはなかた…だから、幻の”名曲”だと今でも個人的にはそう思っている〕

2009年 4月 29日 Posted by | Music | , , , , | コメントを残す

♪Pastime Music③:Club Ethpanora with NABESADA③

♪One More Time〔by NABESADA〕 performed by Club Ethpanora at Nakanoshima Koukaidou, Osaka, 1989
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※三たび登場、前日の《クリスマス直前ねるとんパーティー》でのラスト曲。当時、資生堂の提供で”BRAVAS Club”という音楽番組があったことをご存知だろうか!?当時のバブル期、日本の色は燦々と降り注ぐ”オレンジ色”の太陽のイメージがあった。それはそのまま、南太平洋やトロピカーナなどの海洋リゾートを連想させた。資生堂の男性化粧品のCMで、俳優の草刈正雄と共に起用されたのがサックス奏者のナベサダこと渡辺貞夫氏だった。それが、バンドブームやサックスブームに火を付け、【当時、日本は第一次バンドブームであり、私も、ご他聞に漏れずサックスを購入したりもした】今回の《パーティ》での選曲と相成った。【真冬なのに真夏を連想させる曲調なのが笑える】バンドにはサックス奏者はいなかったので、私が持っていたRolandのリニアシンセサイザー:D-50をジャズピアニストの女性に貸し出し、”サックス”っぽく聞こえるよう私が音をチューニングし弾いてもらった…

2009年 4月 28日 Posted by | Music | , , , , | コメントを残す

♪Pastime Music②:Club Ethpanora with ANRI②

♪杏里② performed by Club Ethpanora at Nakanoshima Koukaidou, Osaka, 1989
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※前日に続いて、1989年末の《クリスマス直前ねるとんパーティー》での演奏…今度はうって変わってバラードである。私はこの時、三つのバンドを掛け持ちしたが、【東京の昔のバンド仲間も手弁当で駆けつけてくれた】コレは、大阪へ転勤して初めて組んだバンドだった。ツインキーボードにツインギターという贅沢な編成で、当時のメンバーには感謝しています。皮肉にも、ツインギターの一人、リズムギターの女性は、こり後ご主人の仕事の関係でカナダへ転勤したし、ボーカルの女性はほどなく結婚し身を引いた。【エレピを弾いているのは別れた奥さんである…】

2009年 4月 27日 Posted by | Music | , , , , | コメントを残す

♪Pastime Music①:Club Ethpanora with ANRI①

♪杏里① performed by Club Ethpanora at Nakanoshima Koukaidou, Osaka, 1989
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※時は”バブル”真っ盛りの1989年…昭和天皇崩御を受けてこの年から「平成」と改元したが、当時の大阪はだいたい三年遅れくらいで東京の流行が伝わってきていた。ちょうどその頃、《ねるとんパーティ》という”合コン”の走りのようなイベントが盛んで、私たちのバンドはたまたま知り合いからそのイベントの「BGMをやってくれないか?」と頼まれ、二つ返事で引き受けたのだった。会場となった中ノ島公会堂にはお年頃の男女300人近くが来ていたと思う…私たちも若さゆえできた演奏だった。
コレは、そのオープニングの時の曲だが、チョッピリ固い…バンドもお客さんも初めての経験にまだ戸惑っているような空気が伝わってきて笑える。〔因みに、これはカセットデッキで録音したものである〕

2009年 4月 26日 Posted by | Music | , , , , | コメントを残す

♪番外編♪:『自暴自伝』

あまりカタイ本ばかりだとメゲる。

なので、私は時々、もう一つの”趣味”である音楽関係の本も読んでいるのだ。 v(^o^)v

これでも、数年前までセッションバンドでドラムを叩いてました…そう、太鼓屋!
自分が青春時代を過ごした70~80年代は、音楽の《黄金期》でそれはそれは豊穣だった。
テクノあり、J-POPあり、ディスコあり、ブラコンあり、そして、空前の”フュージョン・ブーム”(!?)もあった。
初期の頃はCDもなかったけど、それでもサウンドコンテンツに満ち溢れていた、あの時代…。

好きなドラマーは、時代背景を反映して、スティーブ・ガッドと(日本でのスタジオ・ミュージシャンの第一人者にしてガッドの日本での影武者でもある)村上”ポンタ”秀一。
その次のグループとして、ハービー・メイソンやデイブ・ウェックルや林立夫に青山純に則竹裕之とか真矢とか…どちらかと言えば、インスピレーションに任せて叩く”変拍子系”が好きかも!?

この本は、いろいろなことに疲れた時、自分の昔のライブとかの演奏を聴きながら、時々ニヤニヤしながら読むのである。【「オッ、俺もなかなかイケてたじゃん!」とか「アッ、ここ音外してんじゃん!」とか「ありゃりゃ、コイツはちょっとばかし”走ってる”よね~」とかつぶやきながら…】

とにかく、”抱腹絶倒”のオンパレードで、ホラ吹いてるのか!?と思えるような話ばかり。
だけど、誰でもが知っている有名な歌手やミュージシャンや楽曲が次から次へと繰り出されるものだから、時代背景を思い出しながら読むと、頭の中で即席の”映画”が出来上がっちゃうほど…それも、読む度に変わっちゃうんだけど。

この時代の”伝説”のドラマーだけあって、PONTAさんもクスリに手を出し、医療刑務所の世話にもなっている。だけど、語り口の中に微塵も”暗さ”がないのが救い…やはり、”伝説”のDENSETSUだ。

・村上”ポンタ”秀一:『自暴自伝』〔文春文庫+PLUS;2006〕

・村上”ポンタ”秀一:『自暴自伝 - ポンタの一九七二→二〇〇三』〔文藝春秋;2003〕

~因みに、私は単行本を一冊、文庫本は二冊【一冊は通勤の携行用】の計三冊を持ってます…

『自暴自伝〔文庫本〕』画像

『自暴自伝〔単行本〕』画像

♪Special BGM①〔PONTA’s Best Take〕:Left-Handed Woman performed by 憲ポンBAND at Kobe, 1989
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♪Special BGM②〔PONTA’s Second Take〕:Left-Handed Woman performed by 憲ポンBAND at Tokyo, 1997
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♪オマケ〔Eric Clapton Band〕:She’s Gone performed by Eric Clapton Band from “Live on Tour 2001”, USA, 2001
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~この曲は、交通事故で亡くなったクラプトンの愛娘に捧げた曲。曲調もさることながら、バンドでは常にツアーへ帯同するリズムセクションのネーザン・イースト(B)とスティーブ・ガッド(D)がしっかりとサポートしている。中でも、日本での彼の”影武者”と呼ばれたPONTAでさえ驚く、ガッド独特の”オルタネート奏法”によるドラムは圧巻!【私自身、何度も耳コピーを試みたものの、なかなかイメージが湧かなくて困った…白人ドラマーにしては珍しく両手両足を”バラバラ”に動かせるドラマーだった】

2009年 4月 25日 Posted by | Music | , , , , | コメントを残す