★「終戦記念日」は、新たな”選挙戦”の始まり…!?
☆今日は、「終戦記念日」65周年に当たりますね…ということは、企業社会で言えば、「定年」【引退】を意識せざるを得ない年代に到達したというワケで、日本国も”次世代戦略“について真剣に考えなければイケナイ《峠の折り返し地点》に立っていることを、そろそろ強く自覚すべきなのかもしれません。そうでなくとも、今年2009年の夏は、”異常気象“+”天変地異“のダブルパンチ【冷夏と酷暑が混在する夏に台風と地震が同時に襲来など…】に見舞われているのですから、月末【8/30】の総選挙では、何とも言い難い歴史的転換点になる”波乱含みの展開“さえ予感させてくれます…
・八幡 和郎:『歴代総理の通信簿 - 間違いだらけの首相選び』〔PHP新書#413;2006-09-01〕
~またまた、辛口の八幡和郎氏の登場です。氏は滋賀県生まれで東大法学部卒業、フランス国立行政学院(ENA)留学後、通産省入省。その後、バリバリの官僚職などを歴任し、松下政経塾政経研究所特別研究員を経て現在、評論家・徳島文理大学大学院教授。主な著書に、『47都道府県の関が原』や『戦国大名 県別国盗り物語』など、地域に根ざした”戦記物・歴史物“には定評があります。この本では、氏独自の歴史観・戦史観・国家観などに基づいた一見厳しめの《歴代宰相通信簿》について、独特の評価を下しています…月末【8/30】の”衆院選“への何らかの参考になればと思いますね。
- = 歴代宰相史 =
- 宰相前史:大政奉還から内閣発足まで〔約18年間:1867-1885〕
- 幕藩体制(臨時に旧体制が存続):慶応3(1867)/10/14
- 総裁・議定・参与制:慶応3(1867)/12/9
- 輔相制:慶応4(1868)/閏4/21
- 太政官制:明治2(1869)/7/8
- 元勲たちの時代:初代伊藤博文内閣から第4次伊藤博文内閣まで〔約16年間:1885-1901〕
- [1]第1次伊藤博文内閣:明治18(1885)/12/22-明治21(1888)04/30
- [2]黒田清隆内閣:明治21(1888)/04/30-明治22(1889)/10/25
- [3]第1次山県有朋内閣:明治22(1889)/12/24-明治24(1891)/05/06
- [4]第1次松方正義内閣:明治24(1891)/05/06-明治25(1892)/08/08
- 第2次伊藤博文内閣:明治25(1892)08/08-明治29(1896)08/31
- 第2次松方正義内閣:明治29(1896)/09/18-明治31(1898)/01/12
- 第3次伊藤博文内閣:明治31(1898)/01/12-明治31(1898)/06/30
- [5]第1次大隈重信内閣:明治31(1898)/06/30-明治31(1898)/11/08
- 第2次山県有朋内閣:明治31(1898)/11/08-明治33(1900)/10/19
- 第4次伊藤博文内閣:明治33(1900)/10/19-明治34(1901)/05/10
- 藩閥政治の時代:第1次桂太郎内閣から寺内正毅内閣まで〔約17年間:1901-1918〕
- [6]第1次桂太郎内閣:明治34(1901)/06/02-明治39(1906)/01/07
- [7]第1次西園寺公望内閣:明治39(1906)/01/07-明治41(1908)/07/14
- 第2次桂太郎内閣:明治41(1908)/07/14-明治44(1911)/08/30
- 第2次西園寺公望内閣:明治44(1911)/08/30-大正元(1912)/12/21
- 第3次桂太郎内閣:大正元(1912)/12/21-大正2(1913)/02/20
- [8]第1次山本権兵衛内閣:大正2(1913)/02/20-大正3(1914)/04/16
- 第2次大隈重信内閣:大正3(1914)/04/16-大正5(1916)/10/09
- [9]寺内正毅内閣:大正5(1916)/10/09-大正7(1918)/09/29
- 政党内閣の誕生:原敬内閣から犬養毅内閣まで〔約14年間:1918-1933〕
- [10]原敬内閣〔政友会〕:大正7(1918)/09/29-大正10(1921)/11/04
- [11]高橋是清内閣〔政友会〕:大正10(1921)/11/13-大正11(1922)/06/12
- [12]加藤友三郎内閣〔海軍〕:大正11(1922)/06/12-大正12(1923)/08/24
- 第2次山本権兵衛内閣〔*関東大震災復興内閣〕:大正12(1923)/09/02-大正13(1924)/01/07
- [13]清浦奎吾内閣〔*超然内閣(選挙管理内閣)〕:大正13(1924)/01/07-大正13(1924)/06/11
- [14]加藤高明内閣〔憲政会〕:大正13(1924)/06/11-大正15(1926)/01/28
- [15]第1次若槻礼次郎内閣〔憲政会〕:大正15(1926)/01/30-昭和2(1927)/04/20
- [16]田中義一内閣〔政友会〕:昭和2(1927)/04/20-昭和4(1929)/07/02
- [17]浜口雄幸内閣〔憲政会〕:昭和4(1929)/07/02-昭和6(1931)/04/14
- 第2次若槻礼次郎内閣〔憲政会〕:昭和6(1931)/04/14-昭和6(1931)/12/13
- [18]犬養毅内閣〔政友会〕:昭和6(1931)/12/13-昭和7(1932)/05/16
- 軍人宰相の蹉跌:斎藤実内閣から鈴木貫太郎内閣まで〔約13年間:1932-1945〕
- [19]斎藤実内閣〔海軍〕:昭和7(1932)/05/26-昭和9(1934)/07/08
- [20]岡田啓介内閣〔海軍〕:昭和9(1934)/07/08-昭和11(1936)/03/09
- [21]広田弘毅内閣〔外交官〕:昭和11(1936)/03/09-昭和12(1937)/02/02
- [22]林銑十郎内閣〔陸軍〕:昭和12(1937)/02/02-昭和12(1937)/06/04
- [23]第1次近衛文麿内閣〔五摂家筆頭格〕:昭和12(1937)/06/04-昭和14(1939)/01/05
- [24]平沼騏一郎内閣〔元検事総長〕:昭和14(1939)01/05-昭和14(1939)/08/30
- [25]阿部信行内閣〔陸軍〕:昭和14(1939)/08/30-昭和15(1940)/01/16
- [26]米内光政内閣〔海軍〕:昭和15(1940)/01/16-昭和15(1940)/07/22
- 第2~3次近衛文麿内閣〔五摂家筆頭格〕:昭和15(1940)/07/22-昭和16(1941)/10/18
- [27]東条英機内閣〔陸軍〕:昭和16(1941)/10/18-昭和19(1944)/07/22
- [28]小磯国昭内閣〔陸軍〕:昭和19(1944)/07/22-昭和20(1945)/04/07
- [29]鈴木貫太郎内閣〔海軍〕:昭和20(1945)/04/07-昭和20(1945)/08/17
- 戦前派の復活:東九邇宮稔彦内閣から岸信介内閣まで〔約15年間:1945-1960〕
- [30]東九邇宮稔彦内閣〔皇族〕:昭和20(1945)/08/17-昭和20(1945)/10/09
- [31]幣原喜重郎内閣〔外交官〕:昭和20(1945)/10/09-昭和21(1946)/05/22
- [32]第1次吉田茂内閣〔外交官(自由党)〕:昭和21(1946)/05/22-昭和22(1947)/05/24
- [33]片山哲内閣〔弁護士(社会党)〕:昭和22(1947)/05/24-昭和23(1948)/03/10
- [34]芦田均内閣〔外交官(民主党)〕:昭和23(1948)/03/10-昭和23(1948)/10/15
- 第2~5次吉田茂内閣〔民自党⇒自由党〕:昭和23(1948)/10/15-昭和29(1954)/12/10
- [35]鳩山一郎内閣〔民主党⇒自民党(保守合同)〕:昭和29(1954)/12/10-昭和31(1956)/12/23
- [36]石橋湛山内閣〔自民党〕:昭和31(1956)/12/23-昭和32(1957)/02/25
- [37]第1~2次岸信介内閣〔自民党(石橋後継)〕:昭和32(1957)/02/25-昭和35(1960)/07/19
- 戦後派の官僚と党人:池田勇人内閣から中曽根康弘内閣まで〔約27年間:1960-1987〕
- [38]第1~3次池田勇人内閣〔自民党(吉田学校)〕:昭和35(1960)/07/19-昭和39(1964)/11/09
- [39]佐藤栄作内閣〔自民党(吉田学校)〕:昭和39(1964)/11/09-昭和47(1972)/07/07
- [40]第1~2次田中角栄内閣〔自民党(越後交通)〕:昭和47(1972)/07/07-昭和49(1974)/12/09
- [41]三木武夫内閣〔自民党(党人派)〕:昭和49(1974)12/09-昭和51(1976)/12/24
- [42]福田赳夫内閣〔自民党(大蔵省主計局)〕:昭和51(1976)/12/24-昭和53(1978)/12/07
- [43]第1~2次大平正芳内閣〔自民党(池田内閣官房長官⇒宏池会)〕:昭和53(1978)/12/07-昭和55(1980)/06/12
- [44]鈴木善幸内閣〔自民党(社会党⇒自民党総務会長)〕:昭和55(1980)/07/17-昭和57(1982)/11/27
- [45]第1~3次中曽根康弘内閣〔自民党(内務省⇒海軍主計士官⇒内務省)〕:昭和57(1982)/11/27-昭和62(1987)/11/06
- 地方政治家とジュニアの時代:竹下登内閣から麻生太郎内閣まで〔20年超:1987-2009〕
- [46]竹下登内閣〔自民党(県議⇒竹下派・経世会)〕:昭和62(1987)/11/06-平成元(1989)/06/03
- [47]宇野宗佑内閣〔自民党(県議⇒外相)〕:平成元(1989)/06/03-平成元(1989)/08/10
- [48]第1~2次海部俊樹内閣〔自民党(三木派)〕:平成元(1989)/08/10-平成3(1991)/11/05
- [49]宮沢喜一内閣〔自民党(大蔵官僚⇒宏池会)〕:平成3(1991)/11/05-平成5(1993)/08/09
- [50]細川護煕内閣〔日本新党(近衛文麿の孫⇒上智大学⇒朝日新聞社⇒熊本県知事)〕:平成5(1993)/08/09-平成6(1994)/04/28
- [51]羽田孜内閣〔自民党⇒新政党〕:平成6(1994)/04/28-平成6(1994)/06/30
- [52]村山富市内閣〔社会党(「村山談話」;「住専処理」)〕:平成6(1994)/06/30-平成8(1996)/01/11
- [53]第1~2次橋本龍太郎内閣〔自民党(経世会;厚生族)〕:平成8(1996)/01/11-平成10(1998)/07/30
- [54]小渕恵三内閣〔自民党(経世会;「公明党」との連立)〕:平成10(1998)/07/30-平成12(2000)/04/05
- [55]第1~2次森喜朗内閣〔自民党(森派)〕:平成12(2000)/04/05-平成13(2001)/04/26
- [56]第1~3次小泉純一郎内閣〔自民党(森派;大蔵族・郵政族・厚生族)〕:平成13(2001)/04/26-平成18(2006)/09
- [57]安倍晋三内閣〔自民党(森派・小泉後継禅譲内閣)〕:平成18(2006)/09-平成19(2007)/09
- [58]福田康夫内閣〔自民党(森派・安倍後継禅譲内閣)〕:平成19(2007)/09-平成20(2008)/09
- [59]麻生太郎内閣〔自民党(福田後継禅譲内閣)〕:平成20(2008)/09-平成21(2009)/07
『SAPIO 2009-8/19・26合併号』にみる”失われた20年”…!?
今年で、小学館の『SAPIO』は創刊20周年なんだそうだ。今年は平成21年、だから、『SAPIO』は平成のニッポンと共に歩を進めてきたことになる。昭和天皇崩御と共に始まった平成元年から、私はこの『SAPIO』を折に触れて買い求めるようになった。当時、こういった雑誌は稀有な存在で、新鮮に映ったものだった。創刊後ほどなくしてバブルが弾け、日本人の視線がともすれば”内向き“になりがちな時代にあって、敢て、国際色豊かな情報を載せ続けたことは評価されてよいと思われる。やや”過激“な論調に傾く傾向が見られるにせよ、『SAPIO』は時代の忠実なクロニクルであり続けたと言える。この平成年間【特に、昨年の”リーマンショック以後】、様々な雑誌の廃刊・休刊が相次いだけれども、まだ生き残っているという事実は厳然としてある。それだけでもスゴイ快挙だ。
※ヘタな論評を加えるより、歴史を単純に羅列したほうが良いと思われるので、下記に列挙します。
= 日本の”失われた20年“【平成年間】 =
- 1989年(平成元年)
- 1月:昭和天皇崩御、明仁親王即位→昭和から”平成“へ…
- 2月:リクルート事件で江副副会長逮捕
- 4月:消費税3%施行
- 6月:宇野新内閣発足、天安門事件、美空ひばり死去
- 11月:ベルリンの壁崩壊
- 12月:日経平均株価最高値
- 1990年(平成2年)
- 1月:秋篠宮文仁親王と川嶋紀子さん婚約
- 2月:衆院選で自民党が275議席を獲得し大勝
- 3月:大蔵省、土地関連融資の総量規制
- 6月:大型景気が史上2番目の長さに…
- 8月:日銀が公定歩合を年率6%に引上げ
- 10月:東西ドイツ統一、O-157で園児志望
- 11月:天皇陛下、即位の礼
- 1991年(平成3年)
- 1月:湾岸戦争
- 2月:皇太子殿下、立太子の礼。美浜原発、原子炉自動停止
- 4月:新都庁舎、西新宿で開庁
- 5月:東京・芝浦にジュリアナ東京オープン
- 12月:ソ連邦崩壊
- 1992年(平成4年)
- 2月:バブル景気、終結
- 3月:新幹線「のぞみ」号、運転開始
- 6月:PKO協力法成立
- 8月:バルセロナ五輪で、15歳の岩崎恭子が金メダル
- 9月:毛利衛さん、日本人で初めてスペースシャトル「エンデバー」へ搭乗
- 10月:天皇陛下、初の中国訪問
- 11月:アメリカ大統領選挙→民主党が勝利
- 1993年(平成5年)
- 1月:クリントン大統領、就任【民主党政権】
- 3月:江沢民、中国国家主席就任
- 4月:天皇・皇后両陛下、歴代初の沖縄県訪問
- 5月:サッカー、Jリーグ開幕
- 6月:皇太子徳仁親王、大和田雅子さん結婚の儀。宮澤内閣の不信任案可決、衆議院解散
- 7月:衆院選で”保守新党“大躍進、北海道南西沖地震
- 8月:細川内閣発足、“55年体制“崩壊、田中角栄元首相死去
- 1994年(平成6年)
- 4月:細川首相、辞意表明。社会党が連立内閣離脱。少数与党の羽田内閣発足
- 6月:松本サリン事件。自民・社会・さきがけの三党が村山富市を首班指名、村山内閣発足
- 7月:金日成死去。向井千秋さんが日本人女性初の宇宙飛行
- 9月:関西国際空港開港
- 10月:北海道東方沖地震
- 1995年(平成7年)
- 1月:阪神・淡路大震災
- 2月:野茂英雄、メジャーリーグ挑戦【ドジャース】
- 3月:オウム真理教に強制捜査
- 4月:東京都で青島幸男、大阪府で横山ノックのタレント知事がダブル誕生
- 5月:麻原彰晃、逮捕
- 8月:村山改造内閣、村山談話。戦後初の銀行経営破綻
- 1996年(平成8年)
- 1月:村山首相退陣、橋本内閣発足。若田光一さんがスペースシャトル「エンデバー」へ搭乗
- 2月:羽生善治が史上初、七冠達成
- 4月:麻原被告、初公判。三菱銀行と東京銀行が合併
- 7月:大阪府で「O-157」集団食中毒発生
- 9月:“民主党“結成
- 12月:ペルー日本大使公邸、人質事件
- 1997年(平成9年)
- 4月:消費税5%実施
- 6月:神戸連続児童殺傷事件で、当時14歳の容疑者を逮捕
- 7月:香港が100年ぶりに返還され、”中国香港“がスタート
- 8月:ダイアナ妃が、壮絶事故死
- 11月:“北海道拓殖銀行“が経営破綻、”山一證券“が自主廃業
- 12月:「京都議定書」採択。東京湾アクアライン開通
- 1998年(平成10年)
- 2月:長野冬季五輪開幕。自民党の新井将敬議員自殺
- 4月:外国為替法改正、”金融ビッグバン“
- 6月:仏W杯で岡田ジャパン、全敗で1次リーグ敗退
- 7月:参院選で自民大敗→橋本首相、辞意表明→小渕内閣発足、和歌山毒物カレー事件
- 8月:北朝鮮のミサイル「テポドン」が三陸沖に着弾
- 10月:和歌山毒物カレー事件で林真須美容疑者逮捕。日本長期信用銀行が経営破綻
- 1999年(平成11年)
- 1月:自民・自由党連立の小渕第1次改造内閣発足。EU統一通貨「ユーロ」流通開始
- 3月:“日産“が”ルノー“と提携
- 4月:石原東京都知事、誕生。山口県光市母子殺害事件
- 8月:トルコ大地震
- 9月:東海村JOC、国内初の臨界事故
- 12月:”2000年問題“が話題に…ミレニアム問題
- 2000年(平成12年)
- 2月:大阪府で太田房江知事就任
- 4月:小渕首相倒れる→小渕内閣総辞職。森喜朗、内閣総理大臣に
- 6月:皇太后陛下、崩御
- 7月:雪印乳業、集団食中毒事件。二千円札発行
- 9月:シドニー五輪で高橋尚子が金メダル
- 10月:田中康夫が長野県知事に
- 2001年(平成13年)
- 1月:G・W・ブッシュ大統領就任【共和党政権】。中央省庁再編
- 2月:えひめ丸事件
- 4月:森内閣退陣→小泉政権誕生
- 6月:池田小、児童殺傷事件
- 9月:“911“、「アメリカ同時多発テロ」発生、日本初の狂牛病感染牛確認
- 2002年(平成14年)
- 1月:雪印食品、輸入牛肉偽装事件
- 4月:ゆとり教育スタート
- 5月:“日韓共催W杯“開幕、トルシエ・ジャパン、”ベスト16“に
- 7月:”郵政民営化関連法案“成立
- 8月:”住基ネット“が稼動開始
- 9月:“小泉電撃訪朝“、北朝鮮が拉致認める
- 2003年(平成15年)
- 2月:北朝鮮、ミサイルを日本海へ発射
- 3月:中国で”SARS“大流行。米軍、”イラク侵攻“【テロとの戦い】
- 4月:郵政事業庁が日本郵政公社に。六本木ヒルズ、オープン。日経平均株価、1982年以来の安値:7,607円88銭
- 6月:「有事法制」成立
- 7月:北島康介、100m・200m平泳ぎで世界新記録樹立
- 12月:米軍、”フセイン元大統領“、拘束
- 2004年(平成16年)
- 1月:山口県で”鳥インフルエンザ“発生
- 2月:自衛隊本隊第1陣、イラクのサマーワへ派遣
- 4月:政治家の”年金未納問題“、相次いで発覚
- 5月:小泉首相、”再訪朝“で拉致被害者の家族5人が帰国
- 8月:アテネ五輪開幕
- 10月:“新潟県中越大地震“発生
- 11月:新紙幣発行
- 2005年(平成17年)
- 2月:「京都議定書」発効
- 4月:“JR福知山線脱線事故“
- 5月:北朝鮮、日本海へミサイル発射
- 7月:野口聡一さん搭乗の「ディスカバリー」、打上げ成功
- 8月:小泉首相、”郵政解散“
- 9月:“郵政総選挙“→自民党圧勝
- 10月:郵政民営化関連法案、(再)可決
- 2006年(平成18年)
- 1月:宮崎勉、死刑確定。日本郵政株式会社、発足。堀江貴文、逮捕
- 2月:トリノ五輪で荒川静香が金メダル
- 3月:堀江メール問題、“WBC“で王ジャパンが初代王者
- 5月:「構造計算書」偽造問題【”耐震偽装事件“】
- 6月:村上世彰、逮捕
- 9月:小泉内閣、総辞職→安倍内閣、発足【第1次禅譲内閣】、麻原彰晃、死刑確定
- 12月:フセイン元大統領、死刑執行
- 2007年(平成19年)
- 1月:“そのまんま東“【東国原英夫】が宮崎県知事に就任
- 2月:第1回東京マラソン
- 3月:東京ミッドタウン、開業
- 5月:松岡利勝農水相、首吊り自殺
- 7月:参議院議員通常選挙で民主党が大躍進
- 9月:安倍内閣、総辞職→福田内閣、発足【第2次禅譲内閣】
- 2008年(平成20年)
- 1月:“橋下徹“が大阪府知事に就任、中国産毒入り餃子事件
- 4月:山口県光市母子殺害事件に死刑判決
- 5月:この頃から、無差別殺傷事件が連続して起きる
- 6月:“四川大地震“に続き、日本でも”岩手大地震“が…
- 8月:北京五輪、福田首相、辞意表明
- 9月:”リーマンショック→”金融危機“へ…福田内閣、総辞職→麻生内閣、発足【第3次禅譲内閣】
- 11月:アメリカ大統領選挙→民主党が勝利
- 2009年(平成21年)
- 1月:”バラク・オバマ“氏が米国初の黒人大統領に就任【民主党政権】→アメリカの”チェンジ“(!?)
- 2月:映画『おくりびと』がアカデミー賞最優秀外国語映画賞を受賞【引き続いて根強い”COOL Japan“ブームか!?】
- 3月:“森田健作“が千葉県知事に就任、“WBC“で原ジャパンが連覇
- 4月:北朝鮮の”飛翔体“【ミサイル!?】発射騒動
- 5月:小沢民主党代表、辞職→鳩山由紀夫氏、新代表に就任
- 6月:岡田ジャパン、”2010年南アW杯“へ世界最速で予選突破
- 7月:“東京都議選“で民主党圧勝→衆議院解散【「追い込まれ解散」か「後の先解散」か!?】
- 8月:衆議院選挙、投開票
- 9月:首班指名→新内閣発足【「政権交代」か「政界再編」か!?】
- 10月:2016年五輪開催都市決定
- 2010年(平成22年)〔予定〕
- 2月:バンクーバー五輪
- 4月:国際宇宙ステーション完成、団塊世代の大量退職本格化
- 6月:”南アフリカW杯“、開催
- 7月:参議院議員通常選挙【新政権下でねじれ国会の解消なるか!?それとも、再びの「政界再編」などの呼び水となるか!?】
- 10月:アメリカで中間選挙【オバマ大統領は信任されるか!?】
~以後、予定〔予測〕として…
…
…
※ざーっと眺めただけでも、いかに人間とは「おなじことを繰り返すのか!?」ということが見て取れる。これこそ、《歴史は繰り返す》を地で行っているワケである。それも、およそ”十年周期“【あるいはまた、”一回り“の12年周期という説もあるが…】で。
- 概ね、「○○○9年」と「○○○0年」には大きな出来事は起こらず、「●●●1年」という”十年“【Decade】の最初の年に《大事件》は起きていること【1991年の”湾岸戦争“と”ソ連邦崩壊“に、2001年の”911テロ“】。そうすると、次は”2011年“がヤバイ!ということになるが、この年には、《完全地デジ化》と《情報通信法》の施行が控えている。一体、どうなることやら!?
- アメリカは、ほぼ”8年周期“で共和党政権【パパ・ブッシュ】→民主党政権【クリントン】→共和党政権【子ブッシュ】→民主党政権【バラク・オバマ】…と、規則正しい《政権交代》を繰り返して来ていて、現在はその4周目に当たるということ。私は、個人的には同世代だしオバマ大統領を応援したいが、その一期目は、前ブッシュ政権8年間の”尻拭い“に終始するかもしれない!?ということに危惧を抱いている。
- 翻って日本の場合、1993年に新党ブームで”細川連立政権“が成立して以降、純粋な非自民党政権は生まれていない。その意味では、政治の世界でも《失われた15年(20年)》と言えるのかもしれない。”二大政党制“が定着しているアメリカの事情は差し引くとしても、日本の場合、これほどまで同じような政体が長らく続いてきた…という事実は、異常なまでに奇異であること。ただ、アメリカのような”二大政党制“も日本にはしっくり来ない気がする。
★来る、”8/30(日)“の総選挙…今回ほど、投票に悩む選挙は初めてだ。
~何となく、ムードで”政権交代“が起きる…かのような報道がなされているが、4年前の”郵政解散・総選挙“の時とはワケが違う。この4年間で、日本では一層のブロードバンド化が進んだことはもちろんだけれども、何より、私たちは、昨年秋、プロが自ら仕掛け、将来の目測を見誤り自ら破綻したことに起因する《金融危機》を目の当たりにしたのだから。アレをみた後では、もう既に、「これから、一体誰を頼りにしたらよいのだろう?」と素朴な疑問を抱いても不思議ではない。各国のいわゆる”エスタブリッシュメント層“に対して抱いていた無垢の信頼までもが揮発してしまったのだから…。
☆そんな折、解散前に出版された、小林よしのり氏の『天皇論』〔小学館のムック、いわゆるマンガによる解説本〕が売れに売れている…という。考えてみれば、これは無理からぬ話だ。現代は、特に、日本では”精神的支柱“を失い、国家も国民もひたすら漂流し続けているような状況なのだから…アメリカみたいに、”黒人初の大統領“が強力なリーダーシップを発揮してくれる国と違い、日本では、二大政党が国民そっちのけで「解散する、解散しない」でモメているのだから、どこか歯車が狂い始めていると思わざるを得ない。はァー、難儀な時代になったもんどすなァ…
~本音を言えば、自民党単独でも、民社党単独でも、政権を取って欲しくない。それは、両党の成り立ちを思い出してみれば当然のことで、マニフェストを見ても先鋭的な対立点は見当たらないし、両党共、財源の問題など方法論のみに終始し、《あるべき国家像》などを指し示せていないからだ。かと言って、国民のほうでも、先の『天皇論』が爆発的に売れていることが象徴するように、日本という国の”国体“や”政体“に関する正しい知識を持ち合わせないし、また、ちゃんと教えられて来なかった…そのツケが今頃回ってきているとも思える。私は、”小林よしのり“の狂信者では決して無いが、それでも、彼の著作にはちゃんと背骨が一本通った一貫性を感じてもいる。なので、月末にも控える選挙での投票を決めかねている人たち【自分も含めて】に向けて -
・小林よしのり:『日本を貶めた10人の売国政治家』〔幻冬舎新書〕
・小林よしのり:『世論という悪夢』〔小学館101新書〕
~政治家も世論も、”ポピュリズム“【大衆迎合主義】に陥りつつある世相に対し、鋭く警鐘を鳴らしているようでもあり、なかなかタイムリーな本だと感じた。あとは、これら情報を私たちがどう理解し、どんな投票行動に結び付けるか!?ひとえに、私たちの内なる”日本人力“にかかっている…と示唆しているように思えてならない。もうそろそろ、目を覚まさないとイケナイってか!?
★移設予告!!★
☆平素は、この『週刊電説』をご覧いただき、誠にありがとうございます。 <(_ _)>
※一部の読者からご要望がありましたので -
- “WP“【WordPress | ワードプレス】関連の「特集記事」
- “サッカー“【フォーメーション】関連の「コーナー」
- “戦略論“【『孫子』 | 『呉子』】関連の「コーナー」
…などは、別ページに移設していく予定です。
[注]この『週刊電説』は、当初のスタイル、すなわち、《BLog》【Book Log:「読後日記」】風に戻す予定ですので、ご了承下さい。
◎都議選「夏の陣」~「衆議院解散」までの流れを『孫子』風に解説すると…!?
☆「勝って兜の緒を締めよ」ではないが、日曜深夜の都議選後、民主党の”第一党“と”自・公の過半数割れ“が判明した直後でも、民主党幹部は、一様に(笑いを噛み殺していたのかもしれないが)表情は硬かった。それも無理はないのかもしれない…何と言っても、今回に限り、民主党の《選挙戦略》がまんまとハマったからでもある。週明けからは、いよいよ”解散・総選挙“をニラんでの本格的な《夏の陣》が動き出す。民主党は、”政権交代“に向けた、大詰めの仕上げの段階を迎えたと言える。
★一方の自民党…麻生首相は何とかココまではと思っていた”イタリア・サミット“までは政権を保たせた、否、しがみついて来た。「後は野となれ、山となれ…」ではないだろうが、相当覚悟を決めての帰国だったようで、当初予想より一週間遅れではあるが、”解散予告“という伝家の宝刀を抜いてみせた。妥協の産物ではあるだろうが、麻生総理にしてみれば、何とか自分の面子とプライドを守れたのだから佳しとするか!?てな感じなのだろう。氏の”(官邸)籠城作戦“は、結果的に、《四面楚歌》の状況を招いただけだった。
◎この一連の流れを、『孫子』風に解説してみると -
・山本 七平:『「孫子」の読み方』〔日経ビジネス人文庫;2005-08-01〕
~今から思えば、この文庫本の出版が2005年8月1日とちょうど4年前になるのは、偶然の一致にしてはでき過ぎのような気がする。【あの”郵政解散・総選挙“の直前だからです】
= 『孫子』による分析・解説【尚、一部は『呉子』による】 =
・第一の”ターニング・ポイント“:2008年10月末頃
~かえすがえすも、麻生内閣発足直前に起きた”リーマンショック“とその後の”金融大不況“に対する《アセスメント》【影響評価】を、実際よりも低く見積もった楽観的態度、これが今に至る”過ち“の始まりだったと思われる。
- 「孫子曰く、兵は国の大事にして、死生の地、存亡の道なり。察せざる可からず。故に之を経むるに五事を以てす。一に曰く道、二に曰く天、三に曰く地、四に曰く将、五に曰く法。故に之を校するに計を以てし、其の情を索む。〔以下省略〕」【『原孫子』:1.計篇より】
~麻生首相にこんな基本中の基本をアドバイスする気などさらさらないが、約一年後、予想もしていなかったレベルにまで”追い込まれる“ことが分っていたなら、政権発足時の”情勢分析“をもっと謙虚にできていただろうに…と残念ではある。
因みに、道とは統治者と国民の一体感のことで、麻生政権の最大の弱点がこれにあったことをご本人はハッキリと自覚しておられたのか!?と思う。三代続いての国政選挙の審判を経ない総理という”正統性の欠如“、これを考えたなら、就任直後の”解散“が、むしろ、正攻法に見えてくるから不思議なものだ。次の天とは自分の力では変えられない時間的・時代的前提〔制約〕のことで、これも、当時の麻生首相にとってはまさに”逆風“だった。三番目の地とは地理的条件または立地条件のことで、現代風に言えば、ポジショニングとでも言えようか!?同盟国:アメリカが弱体化し、BRICs特に”中国“や”ロシア“が相対的に存在感を増す中で、”外交の麻生“を自認する総理がどんな手腕を振るうのか!?この点だけには期待を持った人たちも少なくなかったのではないだろうか!?四番目の将とは司令官のことで、これは、自らが組閣した大臣や事務次官クラスの”人事権“の発露だったが、これも中途半端に終わった。要するに、最も大切な自らの”レゾンデートル“【道を切り拓くための強い”存在意義“】、これが決定的に欠けていた、あるいは、国民にアピールできなかったが故に、結局、精神論頼みの強行突破のような内閣の船出となった感は否めない。最後の法とは法・制度・組織原則のことだが、これは分りやすく言えば、自らの拠って立つ存立基盤のようなものである。麻生政権は、この部分でも、発足の当初からその物理的な意味でも精神的な意味でも、極めて”脆弱“な政権ではあった。そして、逆風下の日本丸をどこへ導こうとしているのか!?その”計“も示せなかったし、情勢分析のための”情“も充分とは言えなかった。
・第二の”ターニング・ポイント“:2009年年頭の国会冒頭
~昨年末に、”派遣切り“や”(日比谷)年越しテント村“などの騒動は起きたものの、実質の”緊急避難“的な経済対策などは既に出尽くした感があった。だから、アメリカでの”黒人初の大統領誕生“というビッグ・イベントに埋没しないうちに、「解散を打つ」というのが最良のタイミングだったと思われる。
しかしながら、何故か!?首相はみすみすこの好機を見逃してしまった…どの道、景気はこの1-3月期が”大底“と見られていただけに、英断して欲しかったと悔やまれてならない。
- 「占わずして、これ(戦争)を避くる者(相手)六あり。〔途中省略〕凡そ此れ敵人に如かずんば(及ばない)、これを避くること疑うなかれ。いわゆる可を見て速み、難を知りて退くなり」【『呉子』:料敵第二・二章より】
~この時は、『呉子』の《不戦均衡戦略》としての”解散権の行使“を断行するべきではなかったか!?と思われる。この時点では、自民党も民主党もさしたる”失点“はなく、国民にも「自公政権か民主政権か!?」という選択肢はまだ明確になっていなかった…むしろ、”政権協力“を呼びかける手だってあった筈なのに、、。
・第三の”ターニング・ポイント“:2009年4月上旬頃
~麻生政権の”唯一無二“の解散のチャンスはこの時だった。3月末に”WBC連覇“という偉業に日本中が沸き、その熱も冷めやらぬ中での北朝鮮の”飛翔体発射騒動“という国防上の危機が起こり、さらに、今度は政敵:民主党の小沢代表の”違法献金疑惑“の問題…これだけお膳立てが揃えば充分の筈なのに、この時も、総理は伝家の宝刀を抜かなかった。【抜こうとも思っていなかったのではないだろうか!?】現職の首相として、”正攻法“で「国民に信を問う」ことができる絶好の好機だったのに。
- 「孫子曰く、兵は脆道なり。故に能にして之に不能を示し、用にして之に不用を示し、其の無備を攻め、其の不意に出ず。故に我戦わんと欲すれば、敵、塁を高くして溝を深くすと雖も、我と戦わざるを得ざるは、其の必ず救う所を攻むればなり。我戦を欲せざれば、地に画して之を守るも、敵、我と戦う得ざるは、其の之く所に乖けばなり。故に善く攻むる者は、敵、其の守る所を知らず。善く守る者は、敵、其の攻むる所を知らず。故に善く戦う者は人を致して人に致されず。」【『原孫子』:6.虚実篇より】
~これは、殆ど解説の必要がないくらいに、平明で分りやすい”戦略“である。すなわち、常に「主導権を握り続けよ!」ということであり、この時は、どちらかと言えば、”玉“が何となく(ムードだけで)政敵の民主党のほうへ行きかけていたところに、スポーツと世界情勢で外からの刺激が与えられ、さらに、民主党自身が珍しく(!?)”チョンボ“を犯した直後だけに、時を置かずそこだけを一気に突くべきだった…麻生首相自身の妙なプライドが邪魔したのか何だか知らないが、この時も”冷徹“な将に徹しきれなかった。大甘だと言われても仕方がないだろう。
・そして、ついに、これまでの”ツケ“を支払わされる形で、運命の”都議選【「夏の陣」】へ…
~4月上旬の”復調期“での解散に打って出られなかった自民党は、その直後から、”地方首長選挙“での連戦連敗という、”兵の溶解“状況に陥っていく…いわゆる戦う前からの厭戦気分の蔓延現象である。こうなってからではもう遅い!
- 「故に兵を用うるの法、其の来らざるを恃むこと無く、吾が以て待つ有るを恃むなり。其の攻めざるを恃むこと無く、吾が攻む可からざるを恃むなり。」【『原孫子』:8.九変篇より】
~これは、マリナーズのイチローがいつも口にしていることではあるが、”準備の大切さ“に関わることである。民社党は、戦いの山場を”今夏“と早くから見据え、この”都議選“に向けた戦略すなわち”準備“を万事遺漏なく整えたフシがある。【その最たるものが、意表を突いた”公示直前の駆け込み追加公認“という奇策であった。”中選挙区制“の地方選挙では同党討ちの危険すらあったのだが、自公政権が”お家騒動(!?)”にかまけている間隙を縫うように、この策がズバリとハマった格好である】かくして、民主党は、4年前のリベンジを果たすべく、粛々と最後の”王手“を打ち終えたのだった…