Dense2's Blog Weekly

~『週刊電説』【Just Another KissBlog】

★『メディア論』の極み…ココまで言うかっ!?

佐々木俊尚氏がまたまた”過激“な本を書きました。梅田望夫氏がどちらかと言えば、海の向こうのシリコンバレーからの《IT-WEBへの楽観的な礼賛論者》なのに対し、佐々木氏は元新聞記者であるが故の《IT-Mediaへの悲観的な現実論者》といったスタンスを保ち、好対照をなしています。まァ、これからメディア界を”侵食“していく側のIT-WEB業界からすれば、新聞・テレビなどのマスメディア従事者には何とも危機感が足りないということに対する警告の書でもありますね。

『2011年 新聞・テレビ消滅』画像

・佐々木俊尚:『2011年 新聞・テレビ消滅』〔文春新書#708;2009-07-20〕
~タイトルからして、何とも”過激“かつ”挑発的“なものである。だが、日常生活で新聞やテレビなどを注意深く観察していると、佐々木氏の主張はあながち荒唐無稽なものではないし、さほどセンセーショナルなものではないことが分かってくる。そう言えば、NHKの集金人は来ても新聞の勧誘員は来なくなったなァ!?とか、テレビのCMが微妙に短く【殆どがクォーターと呼ばれる”15秒CM“】なり、いわゆる番宣の挿入が増えているなァ!?とか。それも、飲料メーカーなど季節商品ものが大勢を占める一方で、《地デジ関連広告》が増えているし、それこそ公告も増えた。【もっとも、今夏は選挙モードだから致し方ない面もある】

  • メディアに対する”視聴スタイル“の変遷
  • ~そう言えば、去年の今頃来た新聞勧誘員が語っていた。「ご近所でも、最近、すごい勢いで新聞の購読を止めていっています…それも、お年寄りがね」と。専業主婦層はチラシ欲しさに新聞を取っていたという話も今は昔。スーパーのチラシは携帯やPCでも見られる世の中になった。【《Shufoo!》(しゅふー)やケータイ配信のスーパーのメルマガなど】最後の砦と言えるお年寄りが新聞を取らなくなるとは、これはもう末期症状と言えるのではなないだろうか!?【お年寄りなどシニア層は早起きなので、散歩も兼ねて駅前のスタンドへ新聞を買いに行くのが習慣にもなっているし、もっと言えば、アクティブ・シニア層までもが携帯やネットを使いこなすようになってきたことの現われでもあるのでしょう!?】

  • いわゆる”マスの消滅“という現象
  • ~今からおよそ25年ほど前の”バブルピーク期“には、「少衆・分衆論」が盛んだった。電通のPR局長だった藤岡和歌夫氏が提唱したものだが、”昭和元禄“と呼ばれる空前の消費ブームの中、一見冷や水を浴びせかけるようなこの考え方は、消費の記号化差異化というコトバまで産み出した。とは言え、それはあくまでも広告代理店などが流行やブームを創り出し先導する…という前提条件付でのことだった。今現在、そうした創り出された流行や仕掛けられたブームにホイホイと乗ってくれる消費者は皆無である。【そもそも消費者ではなく、「生活者」という用語が正しいのだという一種の神学論争紛いの議論もあった】メディアのリーチ先であるマスが消滅したのだから、(マス)メディアのあり方も変わらざるを得ないのに、現実はそうはならず、21世紀の”デジタルエイジ“を迎えてしまったのである

  • (マス)メディアの”プラットフォーム“が液状化【多様化】している…という現実
  • ~これは、グーグルの及川卓也氏の説明によるものである。氏によれば、(マス)メディアの構造は三層構造になっているのだと言う。【これは、頭文字をとって”3C構造“とも言われるらしい】

    • 新聞なら -
    • コンテンツ:新聞記事
      コンテナ:新聞紙面 → ニュース・ポータル検索エンジンブログ2ちゃんねるなどへ…
      コンベヤ:販売店 → インターネットへ…

    • テレビなら -
    • コンテンツ:(テレビ)番組
      コンテナ:テレビ → テレビ、ケータイゲーム機パソコンなどへ…
      コンベヤ:地上波、衛星放送、CATV → 電波ケーブルテレビインターネット(ブロードバンド)などへ…

    ※これは、これまでの新聞社やテレビ局のプラットフォーム基盤】としてのメディア産業への独占が崩れ【だからこそ、”マスコミ“すなわち「ブロードキャスティング」が成り立っていたのだが…】、主戦場が”コンテナ“【メディアの搬送体】へと移ってきていることを象徴している出来事で、”情報のデジタル化“がこの傾向に拍車をかけると予想されています。そして、逆戻りはあり得ないことなのです

  • 新聞界の今後は!?
  • ~元新聞記者だけあって、新聞界についてはテレビ界の倍近くもページを割いている。そして、文化革命の歴史における冷徹な現実だとして、「新聞の敗戦」を位置付けている。だが、ココまで悲観することはないと思う。確かに、新聞を買う人は減ったけれども、新聞記事を読んだり活用する人たちは間違いなく増えているのだから…言わば、新聞というコンテンツの”利用形態“が変わったに過ぎない。なので、”プレス“という職業がなくなる訳でもないし、真に価値ある情報を読者の望むスタイルで届けられるよう、《発想の転換》をすべきなのだろうとは思う。ちょうど、写真屋さんがホーム・パブリッシング(ホーム・プリンター)の普及の際、それを逆手に取って《オフィス・デポ》のような業態へと鞍替えし生き延びたように…デジタル情報の特徴は、「コピーコスト=0」であることを利用し、あらゆる”デジタル・パブリッシング“のニーズに応えようとした試行錯誤の結果の副産物だった。【特に、新聞販売店の経営者の人たちは、このことに注目すべきだとも思うし、巷を騒がせている「コンビニFCの本部と加盟店の問題」も、実は、新聞界で起きている問題と根っこは同じであると感じている】

  • テレビ界の今後は!?
  • ~むしろ、悲惨なまでに問題なのはこのテレビ界のほうかもしれない。何故なら、同じ”デジタルメディア“を扱う《音楽界》成功例があるからだ。周知の通り、音楽界でのコンテナはAppleのiTunes Storeに、コンベヤインターネットに、それぞれ取って代わられつつあり、テレビ界では、事実上のコンテナTouTubeニコニコ動画などのITベンチャー企業に、コンベヤインターネットになりつつある。【まだ、”著作権“上の問題はクリアされていないが、アメリカでは”ビジネス・パートナー“として業務提携の動きが顕著であり、この方式により、メジャーレーベルはむしろ収益力をアップさせながらの業容回復に成功したのである】
    ~そして、もう一つの本質的な問題である、”電波利権(電波行政)“の問題…こちらのほうが見過ごせない悩ましい難題になりつつあるのだ。それは、2011年《完全地デジ化》がなされ《情報通信法》が施行される…ということだ。先ず、《完全地デジ化》の本質を因数分解すると、一つはテレビのコンベヤがアナログの地上波からデジタルの地上波へ変わるということと、場合によっては【離党や山間部などの”難視聴地域“では】NTTの光ファイバーCATV等の代替手段に頼らざるを得なくなるということである。この後者の視聴方式は、いわゆる《ネット視聴》のスタイルであり、図らずも、「テレビはパソコンとインターネットでも見られる」という事実を一般に知らしめる結果ともなった。次に、《情報通信法》施行の本質はこうだ。単純化して言えば、「これまで、テレビは”放送法“で、電話やネットは”電気通信事業法“でと、メディアによって分かれていた法律を一本化してしまう」ことである。つまりは、テレビの”コンテンツ“をオープン化するということ。これによって、現在、テレビ局がメディアの”三層構造“【3C構造】の全てを握る独占状態は崩れ、今後、この開放されたコンテナコンベヤなどを巡り、激しい《プラットフォーム争奪戦》が起こるであろうと予想されている。【逆から見れば、テレビ局は、単なるコンテンツ・メーカーの地位に留まるしかなくなるかもしれない!?ということ】その前哨戦として、ゲーム機メーカーの任天堂Wiiで、ネット企業のGoogleが携帯電話用OSのAndroidで、それぞれ、次世代”STB“【セット・トップ・ボックス】の世界標準化を虎視眈々と狙っているとされる。
    ~もう一つ、《完全地デジ化》《情報通信法》施行に関しては、大きな”矛盾点“が残されている。従来の”電波法“ではユニバーサル・サービス【全国どこでもあまねく等しいサービスを行き渡らせること】をうたい文句としてしていただけに、電波は国家の財産【公共財】としてテレビ局など事業者は”電波料“を支払いメディア企業としての権利を買っていた。しかしながら、”放送法“では区域外再送信が制限され、「再送信は同一区域(エリア)内に限る」という妙なことになっていて、特に、民放の東京キー局と地方のCATV局などと頻繁に係争の種となっている。【さらには、CATV局は各都道府県に1社に限るという法令の縛りが事態をややこしくしている】ただ、来る2011年《完全地デジ化》によって、いわゆる「タイムシフト」「プレイスシフト」「スタイルシフト」という《TPSシフト》が起きるとされているだけに、この紛争もほどなく雲散霧消してしまうのかもしれないが…

2009年 8月 5日 - Posted by | Business, IT-WEB | , , , , , , , , , ,

まだコメントはありません。

コメントを残す