Dense2's Blog Weekly

~『週刊電説』【Just Another KissBlog】

◎都議選「夏の陣」~「衆議院解散」までの流れを『孫子』風に解説すると…!?

☆「勝って兜の緒を締めよ」ではないが、日曜深夜の都議選後、民主党の”第一党“と”自・公の過半数割れ“が判明した直後でも、民主党幹部は、一様に(笑いを噛み殺していたのかもしれないが)表情は硬かった。それも無理はないのかもしれない…何と言っても、今回に限り、民主党の《選挙戦略》がまんまとハマったからでもある。週明けからは、いよいよ”解散・総選挙“をニラんでの本格的な《夏の陣》が動き出す。民主党は、”政権交代“に向けた、大詰めの仕上げの段階を迎えたと言える。

★一方の自民党…麻生首相は何とかココまではと思っていた”イタリア・サミット“までは政権を保たせた、否、しがみついて来た。「後は野となれ、山となれ…」ではないだろうが、相当覚悟を決めての帰国だったようで、当初予想より一週間遅れではあるが、”解散予告“という伝家の宝刀を抜いてみせた。妥協の産物ではあるだろうが、麻生総理にしてみれば、何とか自分の面子とプライドを守れたのだから佳しとするか!?てな感じなのだろう。氏の”(官邸)籠城作戦“は、結果的に、《四面楚歌》の状況を招いただけだった。

◎この一連の流れを、『孫子』風に解説してみると -

・山本 七平:『「孫子」の読み方』〔日経ビジネス人文庫;2005-08-01〕

~今から思えば、この文庫本の出版が2005年8月1日とちょうど4年前になるのは、偶然の一致にしてはでき過ぎのような気がする。【あの”郵政解散・総選挙“の直前だからです】

『「孫子」の読み方』画像

『孫子』による分析・解説【尚、一部は『呉子』による】 =

・第一の”ターニング・ポイント“:2008年10月末頃
~かえすがえすも、麻生内閣発足直前に起きた”リーマンショック“とその後の”金融大不況“に対する《アセスメント》影響評価】を、実際よりも低く見積もった楽観的態度、これが今に至る”過ち“の始まりだったと思われる。

  • 「孫子曰く、兵は国の大事にして、死生の地、存亡の道なり。察せざる可からず。故に之を経むるに五事を以てす。一に曰く、二に曰く、三に曰く、四に曰く、五に曰く。故に之を校するにを以てし、其のを索む。〔以下省略〕」【『原孫子』:1.計篇より】
  • ~麻生首相にこんな基本中の基本をアドバイスする気などさらさらないが、約一年後、予想もしていなかったレベルにまで”追い込まれる“ことが分っていたなら、政権発足時の”情勢分析“をもっと謙虚にできていただろうに…と残念ではある。
    因みに、とは統治者と国民の一体感のことで、麻生政権の最大の弱点がこれにあったことをご本人はハッキリと自覚しておられたのか!?と思う。三代続いての国政選挙の審判を経ない総理という”正統性の欠如“、これを考えたなら、就任直後の”解散“が、むしろ、正攻法に見えてくるから不思議なものだ。次のとは自分の力では変えられない時間的・時代的前提〔制約〕のことで、これも、当時の麻生首相にとってはまさに”逆風“だった。三番目の地とは地理的条件または立地条件のことで、現代風に言えば、ポジショニングとでも言えようか!?同盟国:アメリカが弱体化し、BRICs特に”中国“や”ロシア“が相対的に存在感を増す中で、”外交の麻生“を自認する総理がどんな手腕を振るうのか!?この点だけには期待を持った人たちも少なくなかったのではないだろうか!?四番目の将とは司令官のことで、これは、自らが組閣した大臣事務次官クラスの”人事権“の発露だったが、これも中途半端に終わった。要するに、最も大切な自らの”レゾンデートル“【道を切り拓くための強い”存在意義“】、これが決定的に欠けていた、あるいは、国民にアピールできなかったが故に、結局、精神論頼みの強行突破のような内閣の船出となった感は否めない。最後の法とは法・制度・組織原則のことだが、これは分りやすく言えば、自らの拠って立つ存立基盤のようなものである。麻生政権は、この部分でも、発足の当初からその物理的な意味でも精神的な意味でも、極めて”脆弱“な政権ではあった。そして、逆風下の日本丸をどこへ導こうとしているのか!?その”“も示せなかったし、情勢分析のための”“も充分とは言えなかった。

・第二の”ターニング・ポイント“:2009年年頭の国会冒頭
~昨年末に、”派遣切り“や”(日比谷)年越しテント村“などの騒動は起きたものの、実質の”緊急避難“的な経済対策などは既に出尽くした感があった。だから、アメリカでの”黒人初の大統領誕生“というビッグ・イベントに埋没しないうちに、「解散を打つ」というのが最良のタイミングだったと思われる。
しかしながら、何故か!?首相はみすみすこの好機を見逃してしまった…どの道、景気はこの1-3月期が”大底“と見られていただけに、英断して欲しかったと悔やまれてならない。

  • 「占わずして、これ(戦争)を避くる者(相手)六あり。〔途中省略〕凡そ此れ敵人に如かずんば(及ばない)、これを避くること疑うなかれ。いわゆる可を見て速み、難を知りて退くなり」【『呉子』:料敵第二・二章より】
  • ~この時は、『呉子』《不戦均衡戦略》としての”解散権の行使“を断行するべきではなかったか!?と思われる。この時点では、自民党も民主党もさしたる”失点“はなく、国民にも「自公政権か民主政権か!?」という選択肢はまだ明確になっていなかった…むしろ、”政権協力“を呼びかける手だってあった筈なのに、、。

・第三の”ターニング・ポイント“:2009年4月上旬頃
~麻生政権の”唯一無二“の解散のチャンスはこの時だった。3月末に”WBC連覇“という偉業に日本中が沸き、その熱も冷めやらぬ中での北朝鮮の”飛翔体発射騒動“という国防上の危機が起こり、さらに、今度は政敵:民主党の小沢代表の”違法献金疑惑“の問題…これだけお膳立てが揃えば充分の筈なのに、この時も、総理は伝家の宝刀を抜かなかった。【抜こうとも思っていなかったのではないだろうか!?】現職の首相として、”正攻法“で「国民に信を問う」ことができる絶好の好機だったのに。

  • 「孫子曰く、兵は脆道なり。故に能にして之に不能を示し、用にして之に不用を示し、其の無備を攻め、其の不意に出ず。故に我戦わんと欲すれば、敵、塁を高くして溝を深くすと雖も、我と戦わざるを得ざるは、其の必ず救う所を攻むればなり。我戦を欲せざれば、地に画して之を守るも、敵、我と戦う得ざるは、其の之く所に乖けばなり。故に善く攻むる者は、敵、其の守る所を知らず。善く守る者は、敵、其の攻むる所を知らず。故に善く戦う者は人を致して人に致されず。」【『原孫子』:6.虚実篇より】
  • ~これは、殆ど解説の必要がないくらいに、平明で分りやすい”戦略“である。すなわち、常に「主導権を握り続けよ!」ということであり、この時は、どちらかと言えば、”“が何となく(ムードだけで)政敵の民主党のほうへ行きかけていたところに、スポーツと世界情勢で外からの刺激が与えられ、さらに、民主党自身が珍しく(!?)”チョンボ“を犯した直後だけに、時を置かずそこだけを一気に突くべきだった…麻生首相自身の妙なプライドが邪魔したのか何だか知らないが、この時も”冷徹“な将に徹しきれなかった。大甘だと言われても仕方がないだろう。

・そして、ついに、これまでの”ツケ“を支払わされる形で、運命の”都議選【「夏の陣」】へ…
~4月上旬の”復調期“での解散に打って出られなかった自民党は、その直後から、”地方首長選挙“での連戦連敗という、”兵の溶解“状況に陥っていく…いわゆる戦う前からの厭戦気分の蔓延現象である。こうなってからではもう遅い!

  • 「故に兵を用うるの法、其の来らざるを恃むこと無く、吾が以て待つ有るを恃むなり。其の攻めざるを恃むこと無く、吾が攻む可からざるを恃むなり。」【『原孫子』:8.九変篇より】
  • ~これは、マリナーズのイチローがいつも口にしていることではあるが、”準備の大切さ“に関わることである。民社党は、戦いの山場を”今夏“と早くから見据え、この”都議選“に向けた戦略すなわち”準備“を万事遺漏なく整えたフシがある。【その最たるものが、意表を突いた”公示直前の駆け込み追加公認“という奇策であった。”中選挙区制“の地方選挙では同党討ちの危険すらあったのだが、自公政権が”お家騒動(!?)”にかまけている間隙を縫うように、この策がズバリとハマった格好である】かくして、民主党は、4年前のリベンジを果たすべく、粛々と最後の”王手“を打ち終えたのだった…

2009年 7月 15日 - Posted by | Politics, Tactics | , , , , ,

1件のコメント »

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